エロゲ感想いろいろ

個別記事にするほどの文量にならなかったものをまとめて。

俺たちに翼はない Prelude(2008、Navel

本来ならこれをプレイした半年後に本編発売であって、「それって死ぬよね?」というのが率直な感想。すっげー面白かったです。こんな面白いのに本編は半年も先だなんて、正気を保っていられなくね? 最初から追っていた方は、本当お疲れ様です(そもそもの製作発表が2005年あたりでしたっけ。マジ乙です)。
それぞれプレイ時間2時間ほどの本編体験版2つ(鷲介編と隼人編)と、プレイ時間にすると2~3時間ほどの本編には入っていないショートエピソード4つと、Navelのマスコットキャラによるなんかちょっとしたトーク少し。本編プレイ済みの方は、定価で買うならさすがに眉をしかめかねませんが、中古安値ならば充分元は取れる内容ではないでしょうか。全部、素晴らしく面白かったです。特にショートエピソードが、本編には存在しない、「それぞれのヒロインキャラクター視点」から綴られているというのがポイント高い。明日香さんのモノローグはこんななのかとか、山科さんはあんな感じなのかとか、店長視点だとマジこの人精神病んでんじゃねえのってくらいぶっ壊れてるところとか、なかなかに興味深い内容。鷲介視点だと狩男の下ネタもやんわりと受け止められますが、狩男視点だと深刻にヤバイです。真性すぎて。この人、気を遣ってとか場を盛り上げるためとかで多少キャラを作って下ネタ連発してるのかなーと思ったら全然そんなことないマジ真性だったぜ! てゆうか思考回路がおかしい! 人間じゃない!

ちなみに、俺つばの主人公が「誰なのか」というのは、このプレリュードを起動してすぐのところで語られています。

(俺つばの主人公は誰なの~って話になって)
「あ、そうか、そうだね。ハイじゃあお待たせしました。主人公の画像がこちら、ドン!」
(画面真っ暗になる)
「――ハイこの、いまブラックアウトした画面に映ってる、イケメンのお兄さんですね」

そう、本編プレイした人にはある種常識ですが、モニターの前のおまえらみんなたちが主人公だったということです。

メルクリア(2010、Hearts)

THE フツー。なんか普通でした。

いきなりあなたに恋している(2011、枕)

結構面白かったのですが、ボクは圧倒的にホラーが出来ません。ホラーが出てきたら大抵ギブアップです。ここでいうホラーというのは本格的なものじゃなくて、小学生レベルのちゃちいもの、そんなんでもボクはアウトです。マジムリ。『Fate/hollow』の冒頭にちょっとした怪談があるじゃないですか、あれでもうゲームを投げるかどうかの瀬戸際まで追い詰められました。ということで『いき恋』、驚異的なまでのキャラクターの二面性とか面白かったのですが(ツンデレとかそういう意味ではなく(だけではなく)、他人からどう見られているか/本当はどうか、他人にどう見られるように作っているか/本当はどうか、みたいな意味での二面性。それを全キャラに備えて、しかもそのことをゲーム開始超序盤に解説するという風呂敷の広げ方までしている。ここからどう突っ込んでいくのかがインタレスティング)、あと単純にテキストも面白いし、絵も良い感じだし。しかしホラーだ。いやほんのちょっとなんすけど(プレイ時間にして多分30分くらい)、しかしホラーが入ってるぅ!
ということでギブアップ。ウチのPCだと重かったというのもあります。内容自体は良い感じなので、そのうち再チャレンジするかも。

魔法少女Twin☆kle(2005、feng

fengがまだよく分からないメーカーだった頃のゲームですね。つまんねーとか言うほど酷くはないけど、特にオススメできるわけでもない。てゆうか何で買ったのか自分でもよくわからない(積みゲーが多いと、いつ・どこで・何で買ったのか分からないゲームが増えてきます)。
通常ルートと凌辱ルートがあったりするのですが、その凌辱ルート側はちょっと燃えます。敵キャラとか別のキャラにヒロインが凌辱されるんじゃなくて、主人公がやります。疑心暗鬼になったり不安に押し潰されたりと色々と精神的に追い詰められた主人公がヒロインを凌辱することによって精神の安寧を取り戻そうとするルートです。ちょっと何言ってんのかよく分かんないですが、事実なのでしょうがない。ざっくばらんに例を挙げると、ヒロインと恋人同士になった → 彼女がこのまま魔法少女として戦い続けると怪我とかしちゃうかも → 不安でしょうがない → そうだ、彼女をレ○プしちゃえば、もう魔法少女になる気もなくなるんじゃないか! みたいな感じです。こうやって文章に起こすとちょっと可哀相な人みたいですが、実際はもうちょっとちゃんと、”そんな思考回路になるだけ主人公の精神が追い詰められている”ことが分かるような描写になっています。まあ描写がそうであるだけで、決して共感できるとは限らないのですが―――その程度でこんなに不安に押し潰されちゃうの? みたいな感じはある。しかしそれは逆に、それだけ主人公が「弱い」ということ、その弱さから逃げるためにこんな「暴力」を振るってしまうということ、つまりこれは、こんだけ主人公が「異常」だということに証明に他ならないわけです。そこが良かったです。そこが好きなとこ。

あまつみそらに!(2010、クロシェット

スズノネセブンはよく出来てるなぁと思ったのですが終わり。

こんそめ(2010、silver bullet)

世間一般(この場合エロスケのことを指す)で言われているとおり、日野旦先生とそれ以外のライターとの差が激しい……てゆうか普通に相性が悪かったんじゃね? という感じがします。
「生きるって、呪いみたいなものだよね」。るい智において「呪い」をどういうものとして定義しているかというと、決して能力の代償的に存在するドクロのあの呪いのことだけではありません。ちょっと今プレイ時のメモやキャプが見つからないので全部記憶で書いちゃいますが、たとえば性格のことを「呪い」と言ってたりもしてますよね。自分はこういう性格だ、だからこういうふうな言動をしてしまう。それはまさに「呪い」ではないか。○○をしてしまう、○○をしたくなってしまう。自分の随意と関係なしに、勝手にそうなってしまうのだ。言うなれば呪いのように。えーと他に確か、事業を失敗したんだっけ、借金で首が回らなくなったんだっけ、あるいはその両方だっけ、とにかくそんな感じの茜子さんの親御さんの状況にも「呪い」を指摘していましたよね。そういう状況に陥るといわば袋小路みたいに道が閉ざされてしまって誰も助けてはくれないというこの社会のあたりまえ。そういったものも「呪い」だと。
つまり、ここでいう(日野でいう)「呪い」というのは、なんか悪いことが起こるように祈祷師があれやこれやする系の意味で「呪い」ではなく(そういう要素もあるけれど、しかしそれよりも)、ドラクエで装備したら「呪われてしまった」といって外せなくなる、捨てられなくなる、というのがありましたけど、あれと同じようなものです。何かしらの制約。何かしらの決まり。縛り付けて、逃れられないもの。それが呪いです。だから、「生きるって、呪いみたいなものだよね」の後にこう続くのです。「報われない、救われない、叶わない、望まない、助けられない、助け合えない、わかりあえない、嬉しくない、悲しくない、本当がない、明日の事なんてわからない……。それってまったくの呪い。100%の純粋培養、これっぽっちの嘘もなく、最初から最後まで逃げ道のない、ないない尽くしの呪いだよ」。―――つまり、制約、決まり、法則、構造……そういったありとあらゆる「逃れられないもの=既に決まっているもの」、それが「呪い」なわけです。

で、ここから話は分かれます。ここから世界は分裂します。いやここより前からなのかもしれませんが、ボクが未プレイなのでご勘弁ください(ついでに『桜吹雪』なんかも未プレイなので大変アレなのですが)。要するに、一つの作品で「呪い」全ての話は出来なくて、なのでそれぞれの作品で、少しずつ分節化して、そのちっちゃくなった個別の呪いをやっつけているのです。『るい智』であればいわずもがな、能力、血、つまり個人的な”運命としての”呪いです。そいつをやっつけてる。『コミュ』はトラウマ、過去、つまり”自分自身”という性格や意思そのものの呪いですね。それを殺している。では『こんそめ』はというと、そこに家族や血縁、つまり”出自としての”呪いが当てはまっている。『こんそめ』において断頭台に上がっている呪いはそいつです。『こんそめ』はそいつをジェノサイドしようとしている。
…………のだと思います。と、ここで急に歯切れが悪くならざるを得ないのが『こんそめ』の欠点でして、なにせヒロイン5人なのに日野っちが書いてるのが1人分だけらしいのです(あと共通ルート)、そりゃヘンテコな齟齬りが生じかねません。そして実際に生じてしまってます。その辺が世間一般の評価が言い表しているところなのではないかと。あくまで喩えですが、「ヒロインは家族や出自に問題あるからー」って発注受ければ、日野っちはお得意のある種ねちっこい呪いをお書きになられるでしょうけど、普通のライターは変に家族観や感動系ファミリー系方向に流れてもおかしくないんじゃないか、みたいな想像は容易くできると思いますけど、誤解を承知で言えばそんな感じです。いや別にホームドラマ系ではないですけど、でもなんだろう、こういった家族の使い方は絶対に日野さんのそれではないし、”そもそも呪いでもない”、みたいな、決定的な齟齬がそこに見え隠れするわけです。たとえば「家族間のトラブル=家族の問題」みたいなものを俎上に上げてはいけないわけです。それは呪いではなくただの問題でしかない。だから普通にぱぱぱっと解決できます。それだと、そういったものが生じる機構=呪いはやっつけられていませんしね。

ああ、ちなみに、だからここで例に挙げた3作品は「同盟」「利害の一致」みたいな感じで最初つるむわけです。たとえば『こんそめ』では、RPGっぽくパラメーターupとかアイテムgetとかありますけど、あれは実際の意味を何も持たない形式的なものでしかありませんよね。ある意味それと同じように(つーかだからこそ「形式だけ」のRPGぽさを挿入しても違和感がないのだけれど)、ここでいう友情も形式的なものからはじまります。その辺は『るい智』にしろ『コミュ』にしろ似たようなものですね。友達というわけではない。まあその中の少数の個々人は別として、全員が全員と友達として繋がっているわけではない。外から見れば・形式上は友達のようであるけれど、それは形式上でしかない。『&』も、あれはあれで実は形式的な友人度合いが結構強いですよね。始まりの段階においては、”たまたま二つの月を見たときに一緒にいたメンバーだから”以上でも以下でもないわけです。そもそもずっと会ってないし、連絡も取ってないし、名前も顔もおぼろげなメンバーがいたりするし、「けどそれでも今でも友達だ」なんてことは思っていなかったわけです(※麗さんは除く)。だから、たとえば「クラスメイトだった」と同じ様な意味で「二つの月を見た冒険のメンバー」という形式的な繋がり合わせしかここでは持っていない。そこからどうなるかは別の話ですが、最初はそう。こういう形式性というのは、「逃れられない決まり=呪い」からは少し離れたレイヤーに位置します。形式だから直接の実効性は持たないわけです。たとえばマルクスの物神化が例に挙げられるように、これが数万人以上の規模だったら話は別ですけど、数人規模だったらその形式を破棄するのはそう難しくない。故にこれは呪いに囚われてない。「友達だから、友達だから……」というよくありがちな「友達という呪いに囚われたストーリー」からは遠く離れたところに余裕にポジショニングできるわけです。

で、えーとなんでしたっけ。『こんそめ』の一枚絵CGは殆どがなぜかパンチラしているのですげーやる気が削がれるという話でしたっけ。いわゆる空気パンチラ?とかいう言葉があるらしいですけど、多分それです。女の子が出てくるCGはだいたい全部無駄にパンチラしています。まるで呪いのように。絶対パンチラするという呪いがあるわけです。で、これが非常にやる気削がれるので止めて欲しいなーと。パンチラCGってそもそも恣意性と紙一重じゃないですか。普通、女の子はパンツを見せていません。ということは、パンチラというのは、風やら動きやらでスカートがめくれてパンツが見えるか、椅子で足を組んだり高いところにいたりとパンツが見えるような体勢・位置ゆえにパンツが見えるか、下方向から見上げる向きのアングルで絵を描くことによってパンツが見えるか、そういったところしかないわけです。でもそれって恣意性と紙一重なんですよね。だって現実世界の日常生活でそういう場面ってまず滅多にないじゃないですか。パンチラなんて皆さん見ますか? ボクは別に見たくないですけど、しかし見たことはほぼ全くありません。自然の摂理として起こりづらいものになっている。だからエロゲにおいては、無理矢理風を吹かせたり、無理矢理女の子に変な・無防備な体勢取らせたり、なぜか下から覗き込むようなアングル取ったりして、そのように「恣意的にして」、はじめてパンチラが生まれるわけです。なにせ現実じゃパンチラなんてありませんからね。ボクは別に見たいわけじゃありませんが、現実世界ではパンチラなんて多分見たことがありません。つまり、何が言いたいのかというと、現実ではパンチラはまず滅多やたらに起こらないのです。なのにエロゲCGでは日常茶飯事にパンチラが起こっている!(てゆうか本作においては殆ど全てがパンチラである!) これはおかしいです。これを「自然現象だから」といって納得することは出来ません。これはただの偶然では済ませられません。これを「ただの偶然だろ」で済ませちゃう人は、「なんか物音がする」「気のせいだろ?ちょっと見てくるよ」「ギャーッ!!」といった感じにホラー映画で速攻やられちゃう犠牲者Aと同じ思考回路です。ちょっと考えれば分かるはずです、むしろこれは偶然ではなく、神の見えざる手だと……。エロゲにおける(ここでいう)神とは何か。それはもちろん作者のことです。キャラクターがパンチラするか否かなんて、作者のさじ加減ひとつなのです。つまり超自然現象であるパンチラがこれほど頻発する理由とは、神=作者がパンチラを起こしている=描いているからである、ということです。
だから空気パンチラは嫌いなんです。パンチラなんて現実に見たこと無いのに(重ね重ね言うけど、別に見たいわけじゃ以下略)、フィクションの中に溢れんばかりに用意するこの恣意性、これがあまりに全面に出ていて嫌になってくる。ということで空気パンチラ撲滅原理主義者としては、マジどうにかして下さいほんと頼みますよ、って感じでした。
つまり纏めると、『こんそめ』は空気パンチラが無ければ良かったのになーという話でした。