『Fate/hollow ataraxia』について

ボクの『Fate/hollow ataraxia』感想*1奈須きのこが認めてくれた*2ので(ガイキチの発想)、ここにさらっとまとめて書いてみる。

てゆうかその前に、これ、(既にホロウを一度クリア済みの方は)再プレイすればこんなの読むまでもなく全て分かると思うので、是非再プレイして下さい。そして奈須きのこ「再プレイするプレイヤーのために作った仕掛け」に驚愕して欲しい(※注:自分が再プレイの時に気付いたってだけであり、実際そう作られてるかは分かりません――むしろ初回で気づくもの、と奈須さんは思われてたかもしれない)。なので皆さん、ブラウザをそっと閉じて押入れからホロウ取り出して(あるいはエロゲ屋に駆け込んでホロウゲットして)再プレイした方が良いです。むしろして下さいって感じ。これ気づいたときは「奈須きのこ天才じゃん!」って思っちゃったもん。



さて、『Fate/hollow』の感想でよく耳にするのが、「この繰り返しにアンリは飽きて、プレイヤーも飽きた。だからやめる、終わらせる。それは並びに、いつまでも永遠の四日間=ゲームに留まっていないで、バゼットが、アンリがそうであるように、現実に帰れということである」―――とかまあ、なんかそんな感じのこと。結構有名なエロゲ感想レビュアーさんなどもこういったこと書かれていて、ボクも当初はそういった解釈を持っていたのですが、しかし真相も真実も異なっていました。奈須さんがそうじゃないよと仰ってるし、そもそもゲームのテキストにそれと正反対のことが書かれているわけです。

まずは「アンリは飽きてない」ということから。アンリはこの繰り返される四日間に飽きていないのです。「飽きた。つまんねえ」というのは言わば強がり(のポーズ)みたいなものなのです。ヒントは3箇所。彼がそういったことを口にした時、3回だけ、否定される場面があります。

拳を握り締めて叫ぶ。
私は裏切られたことより、その気持ちを知りたかった。
なのに、ソレは、
「飽きた。つまんねえ」
あっさりと。
こんな時まで、見事なまでに自分の気持ちを消したのだ。
       (夜の聖杯戦争6)

まずはバゼットにより、「飽きた。つまんねえ」というその言葉が、アンリ自身の気持ちではないと否定され、

「……ねえ。今でも本当に、この願いを終わらせたい?」
「あったりまえだ。もう何億回繰り返したと思ってやがる。いいかげん、飽き飽きでお先真っ暗だよ」
「嘘つき」
       (夜の聖杯戦争6)

次はカレンにより、その言葉を「嘘つき」と否定され、

楽しみは充分すぎるほど出揃っていた。
新しい出来事は必要ない。
たった一種類の四日間でも、永遠に繰り返すという契約を守っていける。
なのにどうして、オレはしなくてもいい事をし続けたのか。
被った人格の影響だけではあるまい。
多分、飽きたのだ。理由はそれでいい。飽きたから終わらせたくなっただけ。そうとでもしなければ。
何もかも、放り出したくなってしまう。
       (スパイラル・ラダー)

しまいには自分自身で否定していた。「飽きた」というのは本心ではない。そうではなく、「そうとでもしなければ。何もかも、放り出したくなってしまう」=「飽きたから」とでも思わなければ、こんなことはやってられない。こんなことというのは、「終わらせる」ということですね。彼自身が言っているように、たった一種類の四日間でも、それを永遠に繰り返せる。恐らく理論上、いつまでもこの四日間を飽きずに遊び続けられる。しかしそれだと先がないから、続かないから、だから先へと続かせるために、終わらせるために、本当はそう思ってなくても「飽きた」と言い聞かせ、わざわざ終わらせようとしている。
奈須きのこの素晴らしいところは、これ、一回プレイしただけではかなり気づきづらい、しかし二回プレイすればだいぶ気づきやすくなる、という点です。アンリが「実は飽きてない」と分かるテキストが、作品通して(見落としてなければ恐らく)僅か3箇所だけ、こんな風に示唆されているだけなのです。ただでさえ思わせぶりで意味ありげな(てゆうか実際意味がある)テキストだらけの中で、さらっと3回だけ、直接的ではなく迂遠に示唆するように示されている「アンリの嘘の証拠」を見つけ出すのは、初回プレイではかなり難しい。だからボクも最初にプレイしたときは「アンリは繰り返しに飽きて、プレイヤーも飽きて、そして終わらせる」、そんなお話だと思ってました。よっぽど集中して読んでるか、よっぽど頭良い人でもない限り、初回プレイでは気づかないんじゃないだろうか。それはつまり、再プレイする=(再プレイするくらいなのだから)実は飽きてないプレイヤーじゃないと気づけないということではないだろうか。実は飽きていないプレイヤーでないと、アンリが実は飽きていないということに気づけない。まあ奈須さんとしては初回プレイで普通に分かるだろと思われてたかもしれないので意図とは異なってるかもしれませんが、これは素晴らしい仕掛けだと個人的に思います。

世界の終わりを知るということはその世界を殺し、次の世界=新作ゲームへと無慈悲に進むことなんです。それだけの情熱をもってコンプしたゲームは、その瞬間に忘れ去られる。僕が『hollow』でやりたかったのは、それを踏まえた上でひとつの世界に永遠に留まるか、それとも進んでいくのかを選択してもらうことでした。そしてアンリマユが考える正解は後者です。
       (インタビューより http://netokaru.com/?page_id=10852

インタビューでこう仰っておりますが、しかし「その瞬間」に忘れない猿みたいなプレイヤー、つまりこの期に及んで飽きてなくて再プレイしちゃうようなプレイヤーにもそういう選択をさせる―――「それでもゲームやめさせる=次の世界=新作ゲームへ無慈悲に進ませる」ように作られている。むしろそここそが、アンリとプレイヤーが同一的である部分と言えるくらい。本当はこの期に及んで飽きていないアンリと、同じく飽きていないプレイヤー。彼らはどうして・どうやって、この理論上永遠に飽きずに続けられる世界を終わらせられるのか。


それが、「終わる事と続かない事は違う」ということです。

「……そうだな。終わる事と続かない事は違う。
ここにいたら、いつまでも続きがない」
       (天の逆月)

当たり前ですが、終わったら続かないというわけではないのです。むしろ終わらないと続かない。終わらせないと、続きに辿りつけない。だからアンリは、”続かせるために終わらせよう”としている。この四日間を終わらせないと、「その先」というものには辿り着けないから。だからわざわざ飽きたと言い聞かせてまでそんなことをやっている。これを『Fate/hollow』とプレイヤーに話を直裁に置き換えれば、『ホロウ』を終わらせないと、その先の・別の何かには続かないということです。極端な話、終わんない限りず〜っとホロウやってることになる。終わらないと「先の・別の何か」には続かない。別のゲームにしろ、別の物語にしろ、ホロウが終わんないと先の・続きはないわけです。
だから、奈須さんが言ってるように、「書を捨てよ、町へ出よう」的なオチではないわけです。「現実に帰れ」的なメッセージは全く無い。もっと単純に、このゲームが終わらなきゃ、次のゲームがプレイできない、この本の最後まで読まなきゃ、次の本に取り組めない、そういったレベルに近い。別にこの次が現実とか町とか、そういうことは言ってないわけです。ただ単に、ここが終わんなきゃ、次に行けない。『Fate/hollow ataraxia=永遠の四日間』を終わらなければ、「次の何か/次の五日目」には辿り着けない。だから、そこに辿り着くために、続かせるために、終わらせなければいけない。そういうこと。


しかしそれは言葉ほど単純ではなく、アンリがそうであるように飽きてないわけです。この期に及んで再プレイするプレイヤーにおいても、やはり飽きていない。なるほど新鮮味は薄くなるし、既知も増えるんだけど、だからといって飽きるとかつまんねえとかと直結するわけではない。まだ続けてもいいと思ってる。だからこそ、精一杯の思いを込めて、アンリは、我われはこう呟くわけです。「飽きた。つまんねえ」と。
飽きてはいない、つまんなくないとしても、こう呟いて強がって捨てていく。だってそうしないと終わらせられないのだから。だってそうしないと続かないのだから。
―――そして。いつかプレイヤーが飽きても。てゆうか元々とっくに飽きてても。いや結局飽きなかったとしても。このゲームを終わらせ「次」に行く事は認められているし、勧められている。


「ある世界を食いつぶして先に進むことは尻軽な話ではなく、人が生きるということ自体がその繰り返しなんだから胸を張って食いつぶしていけ」http://netokaru.com/?page_id=10852)。


Fate/hollow ataraxia』を遊び尽くして、飽きて、いや飽きなくても食いつぶすくらいにやって、そしてやめて先に進むことは、認められている。いや、それこそが『Fate/hollow ataraxia』で語られてることだと言っても過言ではないくらい。別に町に出なくても現実に帰らなくてもいい、新しいゲームをやろうが何をやろうが構わない、しかし(このゲームを)終わらせないと先は(続きは)ないし、そして終わらせちゃっても全然構わない、むしろゲームというのはそういうものだ、そのように語られている。
食いつぶして、終わらせて、先に進む。ゲームとプレイヤーとの関係はそれでいい。そうつまり、先のインタビューの一文から改変して書くならば。とても素晴らしいゲームに出会って、それを輝かしい星と思えたならば、その終わりがどんなに辛くとも悲しんではいけない。それを糧にして、星の輝きに負けないものをその先に得られるように――たとえそれが不可能だと判っていたとしても――頑張っていかなくちゃいけない。……『Fate/hollow』がプレイヤーに求めるものは、そして与えたものは、そういうものではないだろうか。

*1:http://nasutoko.blog83.fc2.com/blog-entry-1.html 大昔に書いたの。ごちゃつきすぎてるのでここでリファイン。

*2:http://netokaru.com/?page_id=10852 インタビューで語ってる内容がボクの感想に近い! これはボクを褒めてくれてるということだ!(マジキチ)