『真剣で私に恋しなさい!A』 感想

遂に『まじこい』シリーズの(いちおうの)最終作、『真剣で私に恋しなさいA』のパッケージ版(A1~A5まで全部入った上におまけのプラスディスク付き)です。とりあえずネタバレ無しなことを先に書いておきますと、「超面白いから『まじこい』好きだった人は迷わずやるべき、コストパフォーマンスも狂ったくらいに高い」です。基本的には6時間~3時間くらいで終わるシナリオが14個(A1~A5まで)と、1時間くらいで終わるシナリオ3つ+3時間くらいで終わるほぼ全キャラ登場シナリオ(プラスディスク)のセットとなっております。つまり自分の場合はクリアまでにだいたい67時間くらいかかった。恐ろしいほどのボリュームになっておりますし、それと同時に、この恐ろしいほどのボリュームがキャラクターへの愛着と、クオリティへの説得力にもなっております。ボリュームを上げて物量で殴る的なものでもあるけど。やってることはよくあるファンディスク的なものなのに、ここまでの質のものをこれだけの量用意されたらもうそれだけで圧倒的でとんでもないものになってしまうのだ。

ということでこの感想も圧倒的でとんでもない量になってますので、気になるキャラのとこだけつまんで読んでいくか、めっちゃ暇な時にでもどうぞ。あとシナリオクリアするたびにちょくちょく書いてきてたので、感想ごとに文章や思考のノリが変わってたりするかもしれませんが、最初の一文字目書いてから全部書き終わるまで一ヶ月くらいかかってるし仕方ない。ちなみに全部ネタバレです。





A-1

無印発売から7年、S発売から5年近く経つわけで、そして僕自身どちらも発売直後にプレイしていたので「まじこい」に触れるのが約5年ぶりだった*1わけで、果たして楽しめるだろうか、楽しいだろうか、てゆうか無印とかSの話ってどんなだっけ、キャラもほとんど忘れてる気がするぞ、とゲーム内容以前にプレイに赴く姿勢の面で不安があったのですが、だが!!しかし!!プレイしてみたらもうめちゃくちゃ楽しい!!!

いやしょーじきメインキャラはさすがに覚えてたけど弁慶とか義経とか記憶がおぼろなままだし、今でも武士道プランって何だっけ?と忘れてることいっぱいあるし、そもそも『まじこいS』のあるルートの続きとかある時点から枝分かれしたIFストーリーって形でゲームがはじまるのですけどその”ある時点”とか”続きの前までの話”とかをまるで覚えてないので、つまり前後の話が分からんところにいきなり放り込まれる感じで物語がはじまるのですけど、それでもいざはじまってしまえば面白いし楽しい!!

もっと言えばキャラクターのこいつらが喋って動いて相変わらずこいつらしているだけでウルトラ楽しいのであります。

クリスはもう相変わらずクリスしているし、ワン子は相変わらずワン子だ――っていうかみんなが(特に大和が)一子をワン子扱いすることによってよりワン子化しているっていう再帰的強化がされてない?そういう意味ではクリスもよりクリス(ぶしつけに言えばかわいいあほのこ)になっていってるし、京は元々罠張って獲物(大和)がかかるのを待ち受けてるようなタイプだったけどより輪がかかってヤバくなってるじゃないすか、というようである。それ自体はそもそもの『まじこい』が、自己が生来持つもの・後天的に体得したもの――要するに”自分自身”が、どうやって自分自身のまま生きていくか・どのように自分自身から変わっていくかというお話であることの延長線上とも言えるでしょう。クリスはよりクリスらしく、ワン子はよりワン子らしく、京はより京らしくなっていくというのはまさに『まじこい』である。


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しっかしみんなで花火見てるのに一人だけ花火ガン無視して大和だけを見つめてる京さんとか本当に今までどおりの京さんでありかつ今までよりもさらに拍車がかかっているようで(なにせこれ京じゃない別の女の子ルートに既に入っているシーンなのだ)もう最高です。というか京さんは常に最高でしたね。正直『A』をやって一番思ったのが「京がめっちゃ幸せになるガチンコ京シナリオが欲しい」です。こんだけありとあらゆるシナリオに出てきては毎度毎度大和のこと恋慕し続けてバッドエンド(京エンド)担当も毎回毎回こなしているのだから、そのくらいのご褒美は用意されてもバチは当らないはずだっていうかそのくらいのご褒美をあげたい!!そして何の心配もなく幸せにほほえむ京が見たい……!!


・弁慶
F組対S組や本屋対決やなどあって『A-1』の中では一番豪華というかケレン味が利いてるシナリオ。山場となるはずのマルギッテ戦や模擬戦の描写が薄い感じがありますが、しかし本当のところの山場は弁慶の心の動きそのものであって、つまり『まじこい』シリーズのシナリオの多くがそうであるように弁慶シナリオもまた、自分自身を理解し自分自身を超克していくというお話でした。まあその部分がすげえあっさりというか、自分のほうが義経に甘えている甘えん坊弁慶であると指摘される→自覚する→意識的に我慢する、あと大和に甘えることで補う*2、という工程をあっという間に済ませてとりあえずのところまで行って、そこから先は 「まあのんびりかわってみせるよ」「少しずつ調節していけばいいさ、だらけながら」 と、エンディング後でのんびりやっていくことを表明して終わってしまう。

まあこうやって事実だけ書くと消化不良というか尻切れトンボ的ではあるのですが、しかしそれこそが弁慶というか、だらけのだらけたるところではないかと。 目指せ、やることはやりつつ、スローライフ という言葉でシナリオ終わるわけですが、それが弁慶的だらけであって、たとえば勉強とかがそうですが「後でだらけるため、今苦労する」ことに対してはそれなりに前向きではあるわけです。だらけすぎてやるべきことをやらないというわけではない。やるべきことをやった上でだらける、あるいは、後顧の憂いなくだらけるためにやるべきことはやる。そうだからこそ、義経への依存・大和への甘えという点を全部解決するのではなく最低限日常生活や戦闘行動に支障をきたす分だけは(やるべき分だけは)さっさと解決して、それ以上はのんびりゆっくりやっていこうという、彼女らしい終わり方であったわけです。



・沙也佳

超絶可愛い人間・イズ・ヒアー。ああもう超可愛いっすよ沙也佳ちゃん!!!いやもうこのイチャラブ描写が大変に素晴らしいです。それでいてイチャラブ萌えゲーに比べると大和の人格がアレなだけあって妙に生々しいものになりますしね。つまりまるで沙也佳ちゃんが実在しているかのようだしそんな実在しているかのような彼女とイチャイチャできるし一言でいうともうあれだ、


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つまりこういうことだ。

シナリオ自体も敢えていつもの川神超人列伝風味を抑えて普通の萌えゲーみたいになっていますね。だからこそ沙也佳ちゃんとイチャイチャラブラブし続けられる。そんな中で沙也佳ちゃんがどんどん本性出していって、特にまゆっちをエロに誘うところとか大和も言ってたけど完全にたぬきだしなるほど地元の友達もよく見てるわーとなること請け合いで、しかしそういった面も非常に可愛いです。彼女は元々、たとえば川神に来た当時の猫かぶりなんかもそうですが、そういった”自分自身”の部分と上手く付き合えている、自分自身を他人に対しては上手く隠して手なづけていて、自分自身を超克する必要はないとも言える(敢えて言えばVS大成さんのところで大和に勇気付けられたことで己の恐怖を克服したけど)わけですが、しかしその隠れている本性もまためっちゃ可愛い、そういう子なのです。



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それはそうと立ち絵のポージングとか服装の趣味・色彩センスとかが姉妹ほとんど一緒なのがいいですね。めっちゃ姉妹だ…

あと最初のところ、秘密基地に来てみんなで話しして一段落着いたところで 「沙也佳、今が発言タイミングですよ」 とまゆっちが言ってるところがあるんですけど、これ逆説的にまゆっち自身がいつもこうやってみんなの話の区切りとかのすんなり発言できるタイミングをいつも探っているんじゃないか(だからここでその発言が出たんじゃないか)ということを察してしまって泣きたくなる。なんというまゆっち、友達同士の会話で空気読んでないことしたくないからいつもみんなの話伺いながら自分の発言タイミングを探ってたんだよこの子……



・あずみ

今回一番驚きのシナリオ。というか『S』だったらこの展開は浮きすぎてて出来ない、『A』シリーズだからこそ出来た話の展開ではないだろうか。

もうなんというか多くは語る必要はない、やれば分かるという話なのですが、しかし毎度思うけど大和くんの好きな女の子を落とすための努力と意思というのは本当すごいです。大抵のエロゲ主人公が特に何もなく最初から女の子に好かれていたりちょっとのきっかけで好かれたり特に好かれようと思ってとった行動というわけではない行動で好かれるのに対し、大和くんは「好かれたい」と自覚した上で計画や作戦練ってそれを行動に起こしますからね。しかも普通のエロゲであるような運命的なあれこれとか特別なあれこれとかそういうの全然ないし。ただたまたま出会った女の子をたまたま好きになって、そこには過去の想い出とか抱えてるトラウマとか実は似たもの同士であり……とかそういうのも全然なくて(たまにあるけど)、だからこそ正面突破、好かれるための努力をして行動をする。全部のシナリオがそういうわけではないですが、無印やSの一部のシナリオ、そしてこのあずみシナリオはめっちゃそういうわけであったのです。フラフラになるまで自分を鍛えて、もっと良い男になる、釣り合うような男になる、どこまでもあずみさんを追いかける、拒否されても決してめげない、貴方のために薔薇の花束を贈ろうそれも永遠に―――そういうわけです。その結果があのラストの今日も咲き誇ってる薔薇の花ですよ。なんというかあまりの大和の愛情と意思にちょっと泣いてしまいました。

あずみと英雄が出会ったのがビルが崩壊したテロ事件ということは、恐らく2001年だろうと考えられるのですが、あずみの恋が終わったのが2010年。大和があのめっちゃ可愛い私服のあずみさんに恋に落ちたのが学園2年生、エロゲなので年齢ぼかされてるけどまあその大人の事情を加味しないで考えると17歳くらい、そして大和の恋が実ったのが26歳のとき。つまりお互い、片思いの恋慕をしていた月日は同じというわけです。同じ9年間だった。その中で、自分の恋愛感情を告白の瞬間までひた隠しにしてきたあずみと、9年間(あるいは8年間)真っ直ぐな想いを何度も何度もぶつけ続けてきた大和、という二人の違いがある。あずみは従者だという認識が練り固まった英雄と、大和は部下・同僚だという認識を想いをぶつけられることによって拒否されてきたあずみという違いでもあって、多分後からこの二つの恋の成否の理由を考えるとそういうものなのかもしれないけど、まあしかしこう書いてて思ったのですが、仮に実際にあの2001年のテロだとすると、あずみが出会った英雄はまだ9歳くらいであって、それに恋に落ちてしまうってお前あずみさん実はショタ……とも思うし、まあそれはそれとして相手がそこまで若ければ大和のように恋する気持ちをぶつけるわけにはいかないので、あずみがイコール従者になってしまったのは仕方なかったのでしょう。しかしそんなあずみさんを好きであり続けて幸せにした。2010年、恐らく大和18歳のときに薔薇贈った後に 「必ず幸せにしてみせる」 と心に誓っていましたが、その後も何年も何年も何回も何回も薔薇を贈り続け、愛を送り続け、想いを贈り続け、そしてついに本当に「幸せにしてみせた」。だから、この話は、幸せにしようとし続けた男が実際に幸せにするまでを描いたお話であり、幸せに届かず拒み続けてきた女が実際に幸せになるまでを描いたお話だから、本当に素晴らしく、素敵で、幸福なのです。



A-2


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チュートリアルのコーナー。紋様(可愛くて何でも言うこと聞かざるを得ない)と百代さん(怖くて何でも言うこと聞かざるを得ない)というまじこい硬軟ツートップのお二人に「違法うpするな」「実況プレイすんな」と言われたら全人類従う以外の道はないし是非もない。



・覇王様

これぞ『まじこい』とでも言えるようなお話。
それこそ無印『まじこい』のそれぞれの個別シナリオは、「自分がどうあるのか」ということをめぐるお話でもあって、昔自分が書いた『まじこい』の感想(やっべ今見るとすげえアレな文章だ)から持ってきつつ書きますが、

百代「川神百代3年、武器は拳1つ。好きな言葉は誠」
一子「川神一子2年、武器は薙刀。勇気の勇の字が好き」
クリス「2年クリスだ。武器はレイピア。義を重んじる」
京「椎名京2年弓道を少々。好きな言葉は仁…女は愛」
由紀江「1年黛由紀江です。刀を使います。礼を尊びます」

誠とか義とか彼女たちが彼女たち自身のことを語りますが、それは本当に「彼女たち自身のこと」(たとえば性格とか性質とか言われるもの、それだけは譲れないとかそれに固執するとかどうしてもそうしてしまうとか)であって、たとえば百代さんの誠は自分への実直さ、すなわち真剣さにあって、それを自分自身はもとより相手にも求める。たとえば挑んでくる相手がどんなに弱かろうがクソ野郎だろうが、正面から一対一で正々堂々と(つまり誠実に・真剣に)挑んでくるならこちらも誠実に・真剣に相手するのに対し、集団でかかってくる卑怯者だったりしたらボッコボコにした上で晒し者にするように。たとえば一子の勇、勇猛果敢さは、それが叶わない夢であろうと彼女を一心不乱に駆けさせていく。たとえばクリスの義は自らが信じる・律する義と呼べるもの(たとえば道理だったりルールだったり規則だったり)を貫き通すものである。『A-1』だったら沙也佳の嘘彼氏をするところですごく渋っていたのなどは、その行為がまさにクリスの「義」に反していたからですね。京の仁・愛は仲間への・大和への仁・愛の深さ。それゆえに彼女が外部のものを拒絶してしまうのは無印の京ルートで詳細に語られます。まゆっちの礼は自己への・他者への堅き礼ではあるけれど、だからこそ人付き合いが上手くいかないという面もある。

これら彼女たちが生まれつき持つ・あるいは生きていく上で獲得した・はたまたその両方かもしれない、作中の言葉を借りれば彼女たちの「性(サガ)」と呼べるものは、それ故に彼女たちを彼女たち自身にし、彼女たちを強くして、同時にそれが自分自身の限界でもあった。まゆっちの人付き合いとか、クリスの頑なさとか、京の外部拒絶っぷりとか。それらを、大和と、そして仲間たちと過ごす日々により変えていく―――本質そのものを変えるのではなくその枠組みの中で変えていく、自分を自分としたままで変えていく、つまり自己を超克していくのが、無印『まじこい』それぞれの個別シナリオであり、また『S』や『Aシリーズ』においても基本的にはそういうお話が多かったわけです。クリスは義の中に寛容さを得たし、京は風間ファミリー限定だった己の身内と呼べるもの(仁や愛の対象)をその外に広げていけたし、一子は栄養士という新たな道への(しかしお姉さまを支えるという意味では同じ道の)勇を駆け出していく。それぞれの自分自身の限界を、自分そのものが本質的に変わるのではなく、過去の自分を乗り越えるように、過去の自分を上書きするように、つまり自分自身を超克するように、その性(サガ)そのものを広げていく。

そういった、「自分が自分であることの限界」を乗り越えていくのが『まじこい』シナリオの基本戦術であるわけなのですが、そういう意味ではこの覇王さまシナリオはもうめっちゃくちゃ『まじこい』です。覇王が覇王であるがゆえ、項羽項羽であるがゆえの限界を乗り越えていく!



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そもそも最初っから案外可愛いんですよねこの人。四面楚歌で涙目になってて大和が来た途端目をごしごししてそれを隠すところとか超可愛い。しかも初っ端から大和への信頼度すっごく高いし。大和は封印を解いた相手だからということもありますが、それ以外の相手に対しても基本的に信頼度は高いというか、より正しく言うなら警戒感がないわけですね。覇王だから。最強と自負しているからこそ、他者を警戒する必要がない。ゆえに他者を警戒しない。だから力になれば素直に喜んでくれるし、味方になれば素直に味方と認めてくれる。それは純粋な子供のようなものではあるのだけれど、それだけに癇癪を起こす稚気、自分勝手な視野狭窄さも子供みたいに持っていて、でもそれらが改善されれば素直に慕ってくれる可愛く強い女の子がそこに居るだけ、となる。

だから、元々可愛いんですけど、項羽項羽であるゆえの身勝手さ、覇王が覇王であるがゆえの他者を省みないところが―――そういった自分自身の限界が超克されれば、もうこれは本当に魅力的で素直で慕ってくれて可愛く強い女の子がそこに現れる。決して大和の力添えだけではなく、彼女自身が義経や紋様を見て何かを学び取ろうとしたというところもあるのが、まさに無印のヒロインたちが大和だけではなく風間ファミリーの他のメンツや外部の人たちからも影響を受け変わっていたのと同じで『まじこい』らしくもあります。

大和「自分を慕ってついてきてくれる将のため、兵のため。彼らに勝ちを味あわせてあげたい…」
大和「そんな理由も入れてくれないと」
項羽「…そうか。義経や紋白と比べて、俺に足りないのはそこなのであろうな…」
項羽義経の感謝と言うのは、そういう意味か…」

最終的に項羽自身が仲間たちのことを「伝説の二十八騎」とか呼び出してるのは正直感動しました。なにせあの項羽自身が! 項羽自身がここまで部下を讃え、誇りに思っている。そう言えるだけの変化を彼女自身がして、そしてそれに二十八人がついてきていた。ここまで長かったし、だからこそ感動もひとしおだったのです。その変化は大和の力が一番大きかったけれども、彼女自身が義経や紋様を見ていたからでもあって、決して彼氏の影響だけではないから過度に依存的になることもないし、かといって一番影響が大きいのは彼氏だから当然一番近くの大切な場所に置かれる。こういったあたり本当に『まじこい』ですね。


そういえばクリスの部隊はクリス自身も一緒になって常に鍛錬して寝食を共にしているとあったけどこれはまさに猟犬部隊、マルさんの影響なんだろうな、なんだかんだいってクリスはマルさんの後を追っていく感じなんだなと思い非常にほっこりしました。

あとエロに関して、たとえば初Hが大和の押しの強さで強引になだれこむ、覇王さま自身が (い、いかん完全に流されてる) と言っていたように本当に完全に流されただけ、強引さだけであるあたりもマジで『まじこい』的だし素晴らしい。いやたいていのエロゲってもうちょい特別感を演出するじゃないすか。ロマンチック感を醸造させるじゃないすか。でもそういうの無い。運命や特別さが入る隙間もない。好きだから求めて欲してそしてヤるというあまりに単純な構図がそこにはあって、そしてそうなるためにはちゃんと大和自身が(たとえばここなら押しの強さや強引さで)自分の力で切り開いていくというのが実に『まじこい』的であったのです。



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しっかし『S』の時は番長の話だけ、勝っても負けても番長でポジるだけだった伊予ちゃんが恐らく高崎健太郎(?)の先発にもニコニコしてるし打線に自信ニキになってるのも本当に嬉しい。『S』が2012年初頭発売ということは、あそこで描かれてるのは近年最暗黒と言われた2011年シーズンを基準としているわけだからなぁ……そりゃ伊予ちゃんも番長でしかポジれないし順位の話はしないし逆転負けの時だけ不機嫌になる(=普通に負けた時は不機嫌にならない=なぜならキリがないから)となるわ。

伊予ちゃん経由でベイスターズファンとなった私としましては、是非ともタカヒロさんにはCS記念シナリオとか番長引退記念シナリオとかも書いて欲しいところであります。番長引退試合で号泣しまくる伊予ちゃんとかさあ、CS進出で大喜びする伊予ちゃんとかさあ、見ったいんすよ!! さらに今なら筒香とか桑原とかでもポジれるし、今永くんや石田くんが先発だったら伊予ちゃんどんだけニッコニコになるんだ……ってすっごく気になるというかね、それが見たいのです。今なら、今なら真に心から最高に笑顔の伊予ちゃんがスタジアムにいるはず……!



・アイエス

完全に可愛い子。いやそもそも僕はあの従来の緒方恵美さんたちの方のクッキーとキャッキャウフフするお話なのかと思っていまして、えーあのクッキーとKKUなのかーうーん……となっていたのですが(公式サイトとかロクに見ない勢の多くはそんな感じだったと思う)、しかしまさか現れたのはこんな可愛い新型クッキーのそのこんな可愛いやつなんて!!俺のクッキーがこんなに可愛いわけなのはアイエスだからであった!!クッキー4ISの9割は可愛さで出来ています!!可愛さだけで出来ている!!

以上で本シナリオの説明の99%は終わりです。アイエス可愛い。そもそもですね、大和が惚れた理由が「可愛い」一点推しなんですよ。

(※浴衣姿見たあとの)
大和「お前が予想外に可愛くてつい、見とれてる」
アイエス「予想外ってなんだか失礼な気がします。私は常に可愛い自覚がありますよ」
大和「その性格も、慣れるとアリだよなぁ」
アイエス「…マイスター?」
大和(俺の中で、可愛い生物から可愛い女の子にお前は進化した…)
大和(このまま付き合いたいなぁ…)

告白直前のシーンの抜粋ですが、本当に要するにで言えば、大和は「可愛いから告白した」のです。さらに108ISにロボットと人間の恋など現実的ではない、長く続くものではないと言われたときも 「アイエスが動物だろうが悪魔だろうが、俺にとっちゃ可愛い女の子であることに変わりはないんだ」 「だからさ…ヤドカリだろうが…ロボだろうが…可愛ければそれでいい…おれが俺の真理だぜ」 と返しているように。可愛ければロボも人間も関係ないし、だから可愛いからこそ好きになったわけだし、つまり可愛いから告白する。そこには人もロボも何も違いはない。逆説的に言えば人間とロボの垣根みたいなものを気にする暇もないくらいにアイエスが可愛いということであります。可愛いからロボだろうが告白しちゃうというくらいにアイエスが可愛い=それだけアイエスが可愛く描かれている。理屈で言えばこういうことなのですが、要するにプレイすればアイエス可愛いーー!!ふおおーーーー(窓を開ける)!!アイエス可愛いーーー(叫ぶ)!!ぴょええーーー(服を脱ぐ)!!!ア・イ・エ・スーーーー(町内を裸で駆け回る)!!!みたいなことが分かると思います。危うく俺も町内を裸で駆け回るところだった(服を脱ぐまではやった)

しかし大和くんがアイエス可愛い、好き、付き合いたいとなったのが本当に上の引用部が初出でその後速攻で告白しているのがやっぱ凄いのです。なにせロボ相手なのに、普通の女の子相手だとしても軽いと思われかねないくらいに早い。普通のゲームだったらロボ好きになったら告白するまでに周囲の目とか人生設計とかアイデンティティとか色々悩みまくりそうなのに、大和くんマジで速攻告白してるし。しかも(このまま付き合いたいなぁ…)と思った瞬間は告白する空気じゃないと察して((まだそんな空気じゃないよな)、という独白)、喋ったりボディタッチしたり抱きしめたりしてそういう空気を作り出した上で告白している。


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これは本当に凄い。だってこれ完全にロボ相手の告白じゃないもん。完全に普通の告白じゃん。しかもなるべく上手くいくように、オーケーもらえるように手練手管を尽くした上での告白じゃないすか。こういうところが『まじこい』ならびに大和くん最高なんすわ。ずっと好きだったとか運命的な巡り合わせがあったからとか女の子のトラウマとか問題を主人公が解決してーとかのそういうよくあるのではなくて、だから運命も宿命もない、ただ好きになった相手と付き合いたいから、相手にも好きになってもらいたいから、そのためにあの手この手を尽くすだけ。上手くいくように空気も作る。そうなるように誘導する。

それでいて、付き合いたいと思った直後に告白するというある種の軽さみたいなのもありますが、しかしこれも恐らくあずみシナリオと本質的には何も変わらなくて、たとえばここでもしアイエスが本気で断ってるならともかく、ロボと人間だからとか誰かと付き合う気はないからとかそういう心ではなく事情で断られてたらあずみシナリオみたいになってただけだろうなぁというのが確信できるわけです。というのも、この後すぐに108ISの事件ですからね。告白時点から殆ど何も進展していない、デートもエッチもしてないのに、それでいて大和はアイエスのために命も何もかも賭けられる。それだけアイエスを大切に、大事に思っている。この時点で既に、それだけの愛の深さに入るためのスイッチをもう持っている。付き合ってさえしまえば、あるいは好きということを自覚さえしてしまえば、そうなるだけのものを持っている。このあたりが大和くんは最高です。ある種の軽さや、あの手この手の手練手管や性欲からの強引さとかも持ってるくせに、好きな子のために何でも出来てしまう愛を当たり前のように持っている。



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最後。元々さらに絆を深めたいからということでクッキーはクッキー4へと変化したわけで、さらにアイエスシナリオ冒頭でも 「どうすれば絆を深めて愛を知ることができますか」 と言ってたのですが、そのシナリオの最後がこれです。クッキーは学び、成長する。それはアイエスも同じで、人の機微・他者への慮りなどアイエスはクッキーに比べるとかなりダメダメだったのですが(キャップたちと鍾乳洞とか行ったときの件)、それらもアイエスはどんどん成長していきます(これもまた自己の超克と言える)。それは変わっていくことであり、得ることであり、だからこそ、絆そのものを、深めたでもなく築いたでもなく、書かれているように「手に入れる」わけです。大和や、仲間たちと過ごす日々が、自分を変化させ成長させていく―――彼女のシナリオもまた他のみんなと同じようであり、それはつまりロボとか人間とかの違いはそこには無いということ。



・紋様



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幸せしかない。紋様との日々。これが幸せ。


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九鬼家族、さらに家族に等しい従者たちとの日々も幸せしかない。これが幸せ。


紋様とのめぐる春夏秋冬365日、そして(このゲームの後に続いていくであろう)何十回死ぬまで続く紋様との春夏秋冬365日。つまりもう、幸せしかない。

しょーじき私のような『S』で紋様究極に可愛いこの世の全てのステキを一緒くたに集めて顕現させた女の子、それが紋様だってくらいに紋様死ぬほど可愛くて実際死んだ(死んだ)人間としてみましたらですね、もうまずA-1の時点で紋様が出てくるだけできょええーー!!ってなるし紋様のかわいらしいお顔をついつい画面キャプチャで保存してしまい意外と容量食ってしまうほど大量に画像が溜まりましたし、A-2でも当然紋様、紋様、紋様ァーー!!ってなるし模擬戦で新しい立ち絵とか出ててうおおーー!!紋様ーーー!!!ってなってたわけです。もうなんか説明できないのでうおおーーとかきょええーーとか叫び声だらけになってしまうわけです。

そんな紋様との素敵な結婚生活。

そんな紋様が自分のことを「妻」と正式に自称する日々。

そんな紋様が家に帰っても学校に行っても隣にいる幸せ。

そういうのがここにある。そういうのが春夏秋冬365日ある。

他のシナリオに比べれば、事件もバトルもなにもない。特に何も大きなことが起きてないように見えるけど、しかし特別もそうじゃないことも全てが起きている。それがこれ、結婚生活というもの。結婚生活という春夏秋冬、365日。ゲームそのものは365日で終わってしまうけれど、この先もずっと続いていく。この幸せが。


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幸せは歩いてこないと言いますが、ちゃんと「全身全霊で幸せにする」と言ってるのが良くて、そして本当に全身全霊で幸せにするように努力しているのがまた良いです。何もしなければ何もならないかもしれないが、ちゃんと努力すれば応えてくれるかもしれない、けどダメな時はダメなんですけどね、しかし逆を言えば叶う時は叶うし辿り着ける時は辿り着ける―――『まじこい』の根本的な価値観としてそういったものがあると思うのですが、だからこそこのシナリオでも大和は日々努力鍛錬を重ねていますし、それは偏に紋様を全身全霊で幸せにするためなのです。しかしこのセリフの直前が 「紋様の深みにハマった俺の答えはひとつだった」 で、1年後にも 「ますます紋様の深みにはまっていく感じだぜ」 とありましたけど、ここまで来てもまだ「深みにハマる」という形容を使うあたりが実に『まじこい』らしいと言いますか、この好きは確かに本当に真剣で「好き」なんだけど、それは決して運命とか宿命とか変な特別とか恩着せがましさとか女の子のトラウマどうこうではなく、あくまで自分の意思で自分の決断で掴んだ「好き」であって、逆に言えば深みにハマれば”誰にだってこうなる”わけでして、それはあずみシナリオとか他のシナリオでそういう大和の性質が垣間見えているわけなんですけど、つまり誰に対してでもこうなりうるわけなんですけど、だからこそ自分の意思で選んだ今の道、今の選択というものが意味あり輝くものになるのです。大人紋様ルートのラストの台詞が 「この選択に一片の後悔もなかった」 であるように、それは確かな選択で、確かな意思。つまりだからこそ、他のシナリオでもそうなんですけど、だからこそ”確かな意思で”、たとえば紋様を全身全霊で幸せにすることが出来る。


A-3

しかし『S』の時は九鬼の面々(紋様除く)に愛着はあまりなかったし良い印象もあまりなかったのですが、ここまで半分くらいが九鬼絡みルートだったこともありすっかり皆好きになってしまいました。アイエスルートやった時はなんやこのチャラついたオッサンはくらいの印象でしかなかった九鬼帝も紋様ルートとA-3の従者二人ルートやったらかなり好印象になったし。こういう、「人の印象は観測者の立場によって異なる」「立場によって関係性は変わりそれにより相手の人となりも異なって見える」という当たり前のことをきっちり描いているのは非常に良いですし、僕自身『S』の時は一面的な見方であったのだなと反省しました。たとえば物語上の悪役とか、憎まれ役も、別の立場でその人に接すれば、案外良い人だったりしっかり芯の通った人物だったりする。それは当たり前のことではあるのですが、しかしそれをしっかりと描くということは、プレイヤーとしては単純に色んなキャラクターの色んな面が見れて楽しいという話でもあるし、人物の深みが描かれることがそのまま世界の広がりに繋がるということでもあります。そのあたりは『初代』から『S』『A』とどんどん深まり・広がっていっていて、それがまんま『まじこいワールド』を創り出しているのが本当に素晴らしいし愛おしいですね。



・李さん

超絶かわいい。おわり(終わってしまった)



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いやもうですね、お姉さんに可愛いと言われる喜び!!お姉さんに頭撫でられる幸せ!! それらを心行くまで堪能できます。それはつまり、そういうことをしてくれる性格のお姉さんと、そういうことされてもおかしくないような関係になるということであって、いやそういう関係になるということだけは例えばステイシールートみたいに他のシナリオでもあって、その時は「母親の愛情(のようなもの)」と説明されていましたが(3-Fに李さんが転入した当初の百代さんもそう認識しましたが)、そもそも李さんは九鬼行ったルートではどのシナリオでも朝起こしてくれたり身だしなみ整えてくれたり色々世話焼いてくれたりと母親気質・お姉さん気質が意外と強いわけなのですが、しかしそこからさらに一歩を踏み出して李さんと恋人同士になるという。そこにおける関係、それを堪能できるという。なにそれ幸せすぎるんじゃない。たとえばエロシーンの (あ、今の大和の感じてる顔…可愛い) (もっと気持ちよくしてあげたい…えいえい) とかあまりにも喜びと幸せが溢れすぎてて完全に死にます。優しさと慈しみを一身に受けつつ、それをこちらも返すことが出来る、そういう関係。そういう意味ではなんといっても大和の告白のときのセリフが 「李さん、好きだ。結婚したい。付き合ってくれ」 というのが素晴らしい。「付き合ってくれ」よりも先に「結婚したい」が来ているという!! このあたりはこの『A』シリーズ通してですが非常に大和らしく、あずみさんのとこやアイエスルートでも言及しましたが「好きだ」となったら本当に真剣な、全身全霊を尽くせる男なのです。たとえばステイシールートの千花ちゃんエンドでも「(これはこれで)幸せだ」と充実してたし、シェイラちゃんエンドでも速攻でシェイラちゃんの家族にご挨拶行ってたりと、おまけエンドでもその姿勢は変わらない。だからここでも、李さんが本心からではなく事情的なもので一度は断るのですが、その程度では諦めはしない。そしてまず「結婚したい」が出てきたように、たとえば過去だろうが様々な事情だろうが、全てを包括して、全てを包み込もうとする、それこそが大和の”真剣(マジ)に恋”なわけです。まあエロへの真剣(マジ)も強すぎる面もあって、四国への旅行で鞄パンパンになるほどコスプレ衣装持ってきてたのはクッソ笑いましたが。こいつ全然厳選してねえ!!長距離旅行で大荷物抱える億劫さよりエロが勝ってやがる!!



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ステイシーもそうですが、李さんも『まじこい』にしては珍しくトラウマとか因縁とか過去のあれこれが大きく取りざたされるお話でしたが、そこで主人公が全部解決してばーん!!おわり!! ではないところが如何にもタカヒロさんのシナリオでした。李さんの問題というのは、主人公一人が解決したわけでも主人公と彼女が付き合ったからそれだけで解決したわけでもなくて、たとえばクラウ爺が自信の半分を背負ってくれたように、仲間たちの力があったように、

(殺し屋はその業からは逃れられないと)
(でも)
(こんな私でも…恩人がいて…)
(友がいて…)
(恋人がいます…)
(1人じゃないんだから…業に負けません)
(背負い続けて、生き抜いて見せます!)

そして決して過去が消えるわけでも綺麗さっぱり無くなるわけでもなく、あったことはあり続け、その業は残り続けるのだけど、それでも大和やクラウ爺やあずみやステイシーや……大切な人たちがいるのだから、それを「背負ってみせる」と。そうやって生きていく。 「どこまで日のあたる場所で生きていけるか…試してみな…どうせ、絶望が待ってるぜ」 と百足は最後に言ってましたが、本シナリオの最後の最後が 「彼女は、日だまりの中でそう微笑んだ」 と、文字通り日の当る場所で微笑む、百足の言葉の否定――つまり業に負けない、業を背負ってそれに負けないことの証明であるのがステキですね。


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表情の秘訣は大切な人の存在だと答えたその笑顔は、それはつまり、彼女の言う恩人、友、恋人、つまり大切な人の存在で出来ている。


あと死んだフリ選手権はここまでで一番笑ったかもしれない。まるでセクシーコマンドーの世界じゃないか……! 次点に笑ったのがモンさん。あんなの紋様大好き人間からしたら死ぬほど笑うわ(実際にあの技喰らったら井上準と同じく精神が死ぬけど)




・ステイシー

ある程度大人になってからはじまるお話だけあって、それ特有の変化とノスタルジーが楽しく、かつ切ないシナリオでもありました。進路が分かれた仲間たちの成長とかつ別離の空気とか、本屋のおっさんがバンダナたちがいた頃が楽しかったと振り返るところとか、与一の中二話に大和がミクロも乗らなくなってむしろ諌めようとしているところとか、なんか妙にリアリティある千花との関係なんかも。時の流れと、変わらないものは何も無いことを否応なく意識させる。……というのが恐らく意図的に書かれているシナリオであったと思います。なにせシナリオの最後の最後のテキストが 「大人になっても、騒がしい日々が続いていく――」 でしたし。川神学園は卒業し、風間ファミリーのみんなとも別の道を歩んでいるけど。自分が居る場所は変わったし、周りにいるのも別の人たちだけど。でもそれでも、そこでも、楽しい・騒がしい・はちゃめちゃな――つまりロックな日々が続いてく。



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ウルトラロック姉さん。李さん、ステイシーさんと『まじこい』にしては珍しいトラウマ絡みの話がメインになるのですが、それは二人が裏家業・戦場を歩いてきた過去があるからなのでしょう。つまり、そういう過去から都合よく目を逸らさないし、そういう過去も(むしろそういう過去だからこそ)包括して受け止める。

さて、ウルトラロックさんは、李さんや大佐曰く戦場でのトラウマから生まれたもの、戦場が生んだステイシーの歪みであり、ステイシー曰く 「私専用の、無敵のヒーロー」 「そいつは、今みたいに、やばいときに、来てくれるんだ」 「私が気がついたときには、全てが終わっている」、そんな存在。それは言葉通り、ステイシーにとっては(ヤバイ状況を)全てを終わらせてくれる”ヒーロー”であり、それはヒーローを望むような苦しい状況にかつてステイシーが居た……ステイシーが居た戦場はそれだけ苦しいものであったということでもあり、つまりそれは拠り所であり、だからこそ”ヒーロー”と呼称するに相応しいのであり、そしてだからこそ大和に制止されてもウルトラロックを使うことをやめない。ウルトラロックはステイシーにとってのヒーローであり、彼女が言ってるように「私自身」「私の一部」でもあるから。自分自身であり自分の一部であり、普段は奥底に眠る、ピンチのときに助けてくれる、やばいこと全てを終わらせてくれる、自分専用のヒーロー。切り札であり、拠り所。だから使うことを止められない。

そんな彼女のヒーローであり拠り所であるウルトラロックを大和が一度倒すわけですが、だからといって別に大和が彼女の(新しい)ヒーローになったりしないところが、もう昔書いた『きみある』感想の頃から言ってて我ながら恥ずかしいくらいなのですが非常にタカヒロ的です。別に主人公が女の子のトラウマとか問題を全部解決しておわりとかそういうわけではない。何かしらの一助にはなる(たとえば『きみある』でミューたんは色々トラウマ・コンプレックス的なものとそれによる歪みを抱えていましたが、それを治すのはあくまでも医者であって、主人公は医者に行く後押しをしただけ)のですが、全部を主人公が解決して主人公が彼女の「ヒーロー」になるわけでは決してない。ステイシーさんの場合は、ウルトラロックというヒーローに頼るのではなく、自分自身で乗り越えていくという力を得ました(その一助に主人公はなっている)。

ステイシー「いや、あいつは呼ばないことにした」
ステイシー「ステイシー・コナーとして、お前を倒す!」

無敵のヒーローに頼らず、自分の力で、自分の意思で戦っていく。毒で意識が朦朧となった時も、大和の声を手がかりにして切り抜ける。それはヒーローに頼ってるわけでも、大和やあるいは他の誰かに頼っているわけでもない。シェイラが「魅力もまた力」と言ってた(目で語ってた)ように、純粋に己単体だけではなく、友がくれた毒を弱める薬や、恋人がかけてくれる声という力もまた、自分自身のものとして。それらの力で、ステイシー・コナーとして戦っていく。



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そしてこの勝利。このめちゃくちゃ格好良い絵が僅か2クリックっていうか実質1クリックしか使われてないの最高にロックです。一瞬しか使われないけどそれでも一枚絵を用意するだけの価値も意味もあるシーンだった。これこそがヒーローに頼らない、ステイシーさん自身のウルトラロックな一撃なのだから。



・燕さん
ここまでのAシリーズ、プレイ時間はキャラ選択の左から順におおむね5時間・4時間・3時間っていう感じではないでしょうか。『A-1』だと弁慶5時間、沙也佳4時間、あずみさん3時間、『A-2』だと覇王様5時間、アイエス4時間、紋様3時間。いや京エンドやサブヒロインエンド、各種バッドエンドなどやるかやらないかで多少増減あると思いますが。とりあえず自分のプレイ時間だとだいたいそんな感じだったのです。そしてその流れでいうと、燕さんは『A-3』では一番短い3時間コースであり、実際にそうだったのですが、にも関わらず「燕が主導権を握った未来」と「大和が主導権を握った未来」の二つに分かれているわけで、つまりそれぞれ1時間半しないくらいの長さのシナリオでしかないわけで、ええとつまりあれです、感想書こうと思っても「燕さんの親父殿クズじゃないすかw」が一番強く印象に残ったところになってて困る。

ただまあ、「主導権を握った」と言うけれど、それはあくまで主導権であって決して”主従ではない”わけです。燕さんが主導権握った未来ではワンちゃん扱いされたり(※なおそれはとてもとても甘美であった)するけどそれはあくまで可愛がりであり、愛情が根底にあり、決して奴隷や家来のように扱われるわけではない。そもそも本当に嫌がってることはまずやってこないし、燕さんが主導権を握っているけど言い方を変えるなら燕さん主導で甘やかしてくれてるだけとも言える。大和が主導権を握った未来も同じで、大和が主体となって甘やかしてるだけで、本当に嫌がることは(アナル以外)絶対しないし、たとえばシナリオのラストは、ミサゴさんが帰ってきて一波乱起きそうでそこで燕さんが (うん…波乱の予感だね。アテにしてるよ彼氏様) であるように、別に主従でも家来でも何でもないから、「アテにする」――頼るし甘えるのです。大和のご両親(父親側が主導権握ってる)なんかもご主人様呼びなんかしてるし一見すると主従のようにも見えるけど、実際はそういうわけではないし、燕さんのご両親(母親側が主導権握ってる)も力関係がはっきりしているように見えて、実際はミサゴさんが久信さんにどこまでも甘くなってしまう(というかだからこそ成立しているとも言える)関係になっている。親子二世代の対比、何だかんだいって同じような道を歩んでるとこも含めてその辺も面白かったですね。


A-4

しかし『A』シリーズやってて強く思うのは、これ九鬼関連はそれだけで別のゲーム一つ作れるし、梁山泊関連も5人のシナリオとかサブキャラ足せば別のゲーム一つ作れるし、西方十勇士もそれだけで別のゲーム一つ作れると思うんですよ。登場人物も豊富だし、みんなキャラ立ってるし、それぞれの人間関係や掛け合いも面白い。九鬼なら大企業従者モノになるし、梁山泊なら中国傭兵モノになる(西方十勇士は舞台が変わっただけに近いけど)。つまりですね、『S』以降の、特にこの『A』シリーズでの『まじこい』というのは、初代からの純粋な地続きの広がりだけでなく(なにせ初代では影も形も伏線も匂わせもなかったキャラや設定がどんどん出てくる)、本来なら別の独立したゲームとして成り立っててもおかしくないようなキャラクターや舞台、アイデアがどんどん継ぎ足されているゲームでもあると思うのです。めっちゃ雑に言えば、『まじこい』というゲームに大企業従者ゲーとか中国傭兵ゲーとか西方学園ゲーとかが乗っかってるようなものでもある、というかそれも含めて『まじこい』になっている。個人的にはそういうところ、面白そうなものはどんどん足していくところとか、ある意味公式二次創作みたいになっていってるところは非常に好ましく思ってるわけでして、故にこの今までとは一風変わった『A-4』もまた大変楽しかったです。



林冲


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今明かされる衝撃の事実、大和のモテっぷりは能力であった!! この野郎本当に(才能という名の)ドーピングしてやがった!!

これまで百代・ワン子・クリス・まゆっち・京・千花・委員長・燕・マルさん・伊予ちゃん・紋様・心・小雪・弁慶・義経・大友・林冲・あずみ・ステイシー・李さん・覇王様・沙也佳・エロシーンだけなら武松に公孫勝、板垣姉妹、ロボだけどアイエス、あとなんか他にもいた気がする……てゆうか攻略対象キャラ多すぎてパッと思い出そうとしてもパッと思い出しきれねえ!! 改めて考えると気が狂ってるレベルというかエロゲー史に残るレベルなんじゃないでしょうか。ここまで沢山の女の子たちとエッチしたり恋人になった主人公はそうはいない……!
で、その状況は冷静に考えるとなんだこれ幾らなんでもなんじゃこりゃという感じではあったのですが、そこに今回「盧俊義の資質」という根拠が付いたわけです。具体的に盧俊義の資質というのは何なのか、生まれもっての才能なのか、行動ひとつひとつにそういったものが現れてるのか、その辺細かい説明が特になかったので定かではありませんが(A-5以降で補足されるのかも)、とにかく大和のモテっぷりに説明が付いて、しかもそれがある種の「才能」というのも面白い。
『まじこい』の世界というのは、たとえばここまでの『A』シリーズの中でも、大和が恋愛を上手く成就させるために努力して策を練って頑張って長い時間を耐えたり、あるいは九鬼従者部隊で出世するために身体に鞭打って鍛えて頑張って努力したりと、急にぽーんと手に入ったり強くなったりするだけではなく、ひとつひとつ努力して一歩一歩道を歩いて、ようやく目標や願いに辿り着く、なんてことが多く描かれてきてました。あれだけ才能に満ち溢れている百代さんだって鍛錬している姿は幾度となく描かれていますしね。ですが、努力すれば何でも叶うとかそういう世界というわけでもなく、たとえば京が何年も何年も想い続けてもその恋は叶わないこと(叶わないルート)の方が圧倒的に多かったり、たとえば一子があれだけ努力しても単純に「才能がない」という理由だけで川神院師範代の道が閉ざされたりもしていました。努力しようがしまいが、叶うものは叶うし、叶わないものは叶わない。『S』の時にその辺を強く感じたのは小雪さんのルートで、当時感想を書いた(http://d.hatena.ne.jp/tempel/20120207/1328621878)のですが、無理なものは無理、ダメなものはダメ、詰んでるものは詰んでると冷酷なまでにはっきりしている。現在の状態からの小雪ルート、リュウゼツランルートからの小雪ルートというのは(そこで小雪に表情が宿るというのは)「絶対にあり得ない」からこそ、過去からやり直す、過去からのifストーリーになっている。そうすることでしか小雪のルートは成り立たないから。
こういった、努力して夢や目標を叶えるということ、それと同時に、何しようが無理なものは無理ということ、それらある意味現実的なシビアさを意外にも厳しく描いているのが『まじこい』なわけです。努力すれば夢や目標は叶うけど叶わないこともあるし努力しようが何しようが絶対に叶わない夢や目標もある。
それでもなお、その原理を覆すには小雪ルートのような、力技とも反則とも言える事象が必要であって、ある意味それが鮮烈に出ているのが林冲の能力です。子供の頃の林冲は誰よりも努力を重ねていたけど、異能の力がないから――つまり「才能ないから」、108星に選ばれることはなかった。これはまんま一子と同じであり、しかし林冲は一子と異なり後に異能(才能)を授かるのですが、それはあれだけ重ねた努力の延長線上そのものにあるのではなく、眼の移植手術により奇跡的に異能も移植されたというまったくの偶然でしかなかった。直接的には「努力したから叶った」「努力が報われた」わけではないのです*3。その「努力したから叶ったわけではない」というあたりは実に『まじこい』的な(そして現実的な)シビアさではあります。努力すれば誰しもが百代並に強くなれるわけではないし、大和のようにモテるわけでもない。でもそれと同時に、ヨンパチほどエロを極めたりスグルほど二次元に没頭するのもまた誰にでも簡単に出来ることではなくて、つまりそれぞれの才能で、それぞれの価値観で、それぞれの道を突き進んでいる。そういう個々人それぞれ何かしら輝くものを持っているということと、その裏側にある人は何にだってなれる・何だって出来るみたいな綺麗ごとは実は大嘘(それこそ眼の移植で異能を得るくらいの偶然性が必要)というのをまるで隠さないあたりは実にらしく、そのはっきりしているところが非常に好ましく思います。



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さて話変わって、シュンとする林冲は実にかわいい!! この子基本的には何をしても何を言われても反応が実に素直なんですよね。反応が素直で可愛くて面白いからこそ梁山泊の面々にいじられるのですが。そして大和もいじるのですが。そして俺もいじりたい! そんな彼女が持つ不器用な真面目さも可愛い。守ると決めたらとことんまで守って、大和との親密さが上がったら雨から頭を守ったり世間体も守ったりと守護範囲が広がっていって、そして付き合うまでなったら監禁してまで守りだす。これは勿論守ることに対するトラウマに端を発してるのですが、だからって”こういう行動になってしまう”のはひとえに林冲さんが不器用に真面目だからでもあります。たとえば付き合うちょっと前のシーン、大和を不快にさせてしまったと思って林冲が勝手に自主的に反省しているところなんかでは、

林冲「少し…黙ってる」
林冲は、椅子に座って本当に黙ってしまった。
外の雨音だけが響く。
大和(なんだこの不必要に重い空気は…)
大和「なぁ林冲
林冲「!(びくっ)」
大和「いや、そんなかしこまらなくても」
林冲「…反省中だから…」

と、この人本当に全身全霊で反省の体勢になってるわけです。別にそんなことしなくていいし大和だってそんな怒ってたわけでもないのに! こういう、真面目なだけじゃなくてさらに不器用だからこそ、自分はこうすべきだとかこうしなくてはいけないとか、そういう自分で決めたことに自分自身で頑なになってしまうところがあって、その自縄自縛っぷりが実に可愛い。また自分の気持ちに対しても不器用な真面目さを発揮していて、たとえば任務にかこつけてキスしてしまった場面などはまさにそうでしょう。 林冲は言わないで我慢しちゃうからなぁ」 と言われてましたが、基本的にはやりたいことしたいこと言わないで我慢しちゃって、だからこそ大和がそれをどうにかしてあげる(言わない気持ちを汲んであげる)ところとか最高ではあったのですが、同時にずっと言わないで我慢する人間だからこそ、我慢の限界に達した時は言わないでいきなり行動に移ってしまう。言わないでいきなりキスしてしまう。そういう我慢の限界を超えた時に生じる大胆さと、守るべき、守らなくてはいけない、守ると決めたということに頑なであることが、いきなり監禁守護事件を起こすことにも繋がるわけです。


さて何だかんだあって林冲さんは自身のトラウマを大和くんに語るのですが、しっかしこれ実に素晴らしいのはそれを聞いた大和の反応が 林冲のこういった部分も受け止める!受け止めた上で、俺がリードしてみせる!) であるということで、そして実際にそうなったというところ。別にトラウマが解決――過去の出来事にもう林冲が苦しまなくなったとか、守ることに固執する心がなくなったとかそういうわけではなく、大和が逞しくなった、簡単に敵にやられることはないと林冲が判断し信頼して、大和自身が自分が逞しくなった、男としてアピールできたと自信を持った、それによりトラウマが消えたわけでも解消されたわけでも昇華したわけでもなく、ただそこに不安がなくなった、信頼関係が確固たるものとなったということで乗り越えたのです。

大和「林冲、俺を守るってことはお前を守るってことだ」
林冲「え?」
大和「俺はもうお前なしじゃ生きていけない。だからお前に何かあったら俺は死んだも同然」
林冲「…!」
大和「俺のためにもお前は生きろ」
林冲を抱きしめる。
林冲「…大和」
大和「大好きだ」
林冲「…あぁ…」
林冲「私が生まれてきた理由が分かった。貴方を守るためだ」

根本的に解決したわけでもないし、よくあるエロゲヒロイントラウマ問題みたいにもう二度とそれで苦しむことがなくなるとかではない(相手が大和である限りまず大丈夫そうではあるけど)し、さらに大和との結びつき・重大さが林冲の中でより上がったわけであるけど、大和が決意していたようにまさに「受け止めてリード」でもあるこの言葉は、”これでいい”、”これがいい”、実にそう言いたくなる結論ではないか。それは間違いなく林冲のためであり、林冲を幸せにする。そして 「この感じ…分かる。今の私は、無敵だ」 と語るように、彼女自身の力にもなっている。




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それはそうと「京、そして伝説へ…」エンドは笑った。そして感激した。いやーこの感想の一番上の方に京のまともなエンド欲しいみたいに書きましたが、結局まともなエンドもまともなストーリーも(当然ながら)なかったわけですが、しかしここまで来ればそれはそれでいいじゃないか!! って強く思える。実際『A』シリーズ全部通せば一番出番多いキャラクターかもしれませんしね。この青い鳥が示しているように、これはこれで京にとっては「幸福」なのだ。分岐エンドでも、バッドエンド扱いでも、大和と一緒にいること、大和に愛されること、それは幸せなのだ。



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そしてベイスターズ。『まじこいS』は2012年1月発売――つまり虚構新聞に「キックベースなら勝てる」とネタにされる(http://kyoko-np.net/2011101901.html)くらい暗黒だった2011年シーズンを基準として描かれていて、だから勿論七浜ベイスターズもクッソ弱かったわけです。順位の話をしなかったわけです。勝っても負けても番長でポジるだけ(他にポジれる選手がいない)ほどだったわけです。それが2012年シーズンや2013年シーズン序盤を参考に描かれていると思われる2013年7月発売の『A-2』では、高崎健太郎先発でもニコニコしだして、ブランコが猛威を振るってた時期だけあって打線に自信ニキにもなっていたわけです。そしてそして、この2014年11月発売の『A-4』では、ついにキューバの英雄(グリエル)が出てくるし新人クローザー(三上)まで出てくるわけです…………いやもう正直言って感動ものです。感涙ものです。あのどん底の2011年から、徐々に強くなっていく様が、そのまんま『まじこい』シリーズの中でも描かれている!! これは『まじこい』が結果的に長寿シリーズになったからこそ生じたものでもありますね。結果的には、作中で七浜ベイスターズを描くことが、横浜ベイスターズの(それもDeNAになる直前・なってからの)歩みを描くことと同じである。これはもう全ベイスターズファンは、『まじこい』やって、かつては弱い弱いだけしか語られなかった、番長くらいしかいなかったチームが、どんどん色んな選手出てきて、弱いネタも語られなくなっていく様を見て感動して頂きたいくらいです。



・大友焔

西国編。ここにきて背が小っちゃい子が増えているのは大変に喜ばしいことです。大変に喜ばしいことです!(2回言う)
さて大友さんは豪快キャラみたいな感じ、いわゆる竹を割ったような性格そのまんまみたいな感じに一見思えるのですが、しかし恋愛面はもうめっちゃくちゃにウブであり、それが最っ高に可愛いのです。


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ことあるごとに赤面してうろたえる大友さんよ!! この可愛さよ!!
口を開けば花火のことばかりで、勉強も女の子らしいオシャレなんかも無関心に近くて、大和に (花火に必要ないことは気にしない感じなんだろう) と分析されてましたが、それは「気にしない」のであって「無い」ではない。可愛い女の子として接せられれば赤面するし、大和と体が触れたりすればやっぱり赤面するし、相手を男の子として意識しちゃえばもちろん赤面する。豪快な性格から男女のことも気にしない、あるいは花火にのめり込んでいる故男女のことも気にしない、そんな子なのかと思ってみれば、実際はそうではない、ただただ男女のことを意識していないのではなく、とにかくただただ純粋にウブな女の子がここには居たわけです。


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そんなわけで焔とのお付き合いは最初のうちはまるで中学生のそれみたいなわけです。手を繋ぐだけで「凄いこと」してるとか言い出しちゃうし大友さんめっちゃ赤面するわ(CG見る限りだと)緊張から動きもカチンコチンになってそうなくらいに見えてしまうわけです。
それがなんかあっという間に初キスして、かと思ったらなんかその辺でも平気でキスし出すようになって、そしてあれよあれよとHにまで辿り着いちゃって中学生恋愛風味から結局いつもの大和風味に落ち着くわけで、この辺個人的にはちょっと勿体無いというかウブなお付き合いをもうちょっと見たいところでもあったのですが、しかし手を繋いだところの最後で

焔「わりと強引なところ、多いな大和は…」
大和「俺についてこい!」
大和「…というような台詞が似合う男になりたいね」
焔「…ふふ。結構そんな気もするがな」
焔「西国武士娘は、尽くす女」
焔「ついていこうではないか」

と言ってるように、強引に引っ張られていくことを悪くは思ってないわけです。初キスのところでも 「……本当、強引だな」 と言ってキスを許したわけですし。そもそも大友さん自身、多少強引でも真正面から真っ正直にぶつかっていく子であり、そういう姿勢が好きな子であるからこそ、そういう求められ方をするのも好きなのである。そして大和が強引になれば、早晩にでもエロエロアンドエロそしてアナルになるのは言わずもがなであるわけです。


しっかし焔さんのトラウマも、これもまた別に大和がいるから無くなったわけでも解消されたわけでも(恐らく)ないのでしょう。

大和「今は俺がいるから平気だね」
焔「あ、あぁ」
焔(人がいても、怖いものは怖いが…)
焔(ただ、励ましてくれると思うと嬉しいな…)

この辺が素晴らしくタカヒロですね。別に誰かがいるからもう怖くないとか一緒だから大丈夫とか二人でいればなんとも思わないとかそういうんじゃなくて、「怖いものは怖い」とはっきり書いてある。それでもなお、一緒にいてくれる、励ましてくれることは嬉しくて、その嬉しさは自分を怖さだけに捉われないようにしてくれる。二人でいることで一人では為し得なかったことができている、なれなかった自分になれている。ある意味では一人ではぶち当たる自分自身の限界に対し二人(以上)になることによって自分自身を乗り越えていくという『まじこい』の基本戦術がここにも言うことができます。そしてそういったところ、一人では出来ないことが二人なら出来る、一人ではなれない自分に二人ならなれる―――といったところが、焔の花火自体を変えたところでもある。もともと焔は花火について、 「花火はいかにど派手にいくかだ! いかに闇夜を派手に照らすかだ!」 と語っていて、「いかに闇夜を照らすか」なんてところを重視しているのは自身の「暗闇が怖い」というトラウマと関連しているんじゃないかと推測してしまうくらいなのですが、そういった自分のしたい花火・自分が求めている花火ではなく、相手のことを考える、 「大友はただ、お前と見たら楽しいと思える花火を作ったまでだ」 「そしたら、こうなった」 、相手と見たい花火、つまり自分一人だけだったら絶対に出来ない・二人だからこそ作れた花火によって、彼女が作れなかったもの(彼女の限界)を超えて、つまり己自身を超えて、情感のこもる花火に辿り着いた。


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そして、その情感のこもる花火、最たるものはこれでしょう。大和はかつて 「気になる男の子と二人で見たら素敵だなって花火を作ってみたら」 とアドバイスしましたが、これこそ完全に気になる男の子(てゆうか彼氏)と一緒に見たら最高に素敵な花火であるし、多分焔さんも間違いなくそういう気持ちで作ってるはず。画面の向こう側にいるプレイヤーのわれわれにも情感は伝わりまくりでしたよ! しかも一発で終わるのかと思ったら何発もメッセージ花火挙げてるところが豪快で真正面から真っ正直にぶつかっていく焔さんらしい。何発も何発も叩き込む、その想いの量はそのまんま情感の量であり、その情感の量は、まんま焔の気持ちの量である。




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ちなおまけみたいだった尼子晴シナリオ。大和のすごいところは何だかんだ「幸せにする」し「幸せになる」ところなんですよね。色んなシナリオで最終的に自分が幸せだ・相手が幸せだと語られますし、これまたおまけだった『A-3』の千花ちゃんシナリオですら「幸せだ」と語る。もちろんここでもそれは同じ。




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そしてみんなが天神館の制服着てくるシーン。ここで面白いのはみんなの表情です。まゆっちはポーズ取りつつもまゆっちらしいちょっと恥ずかしそうな赤面顔、姉さんはワイこそが姉さんやと言わんばかりの色気と尊大さを発揮しているポーズ、ワン子はワン子らしく元気溌剌、クリスもクリスらしく奇をてらったところのない正々堂々正統派ポーズ。なのに何故か京さんだけめっちゃ赤面しているわけです。まさか制服を着替えただけであの京さんが赤面? そんなことがあるのか…と思ったら……


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テキストウインド消すとよく分かる、この女スカートに手をかけて少しまくりあげてやがる……! となると他のキャラのようにポーズの問題でも上着の丈の問題でもないのにお腹とおヘソが見えてるのも、明らかに計算によるもの……! てゆうか右手側を見ればよく分かるように上着の丈が十分にあるのに何故かヘソが見えるなんて計算以外の何物でもない。つまり、この赤面は、大和を少しでも興奮させるための、誘うための赤面! 椎名京、このようなちょっとしたCGにおいてもまったくブレないし隙がない、完璧な(完璧にどんな時でも大和を狙い続けている)女だ……!!!


A-5

ついに『A-5』。しかし李さんシナリオ終えてからしばらくは「披露宴で疲労する」みたいなめっちゃアレなギャグが自然と脳裏に浮かんでしかも死ぬほど口にしたくなって困ったし、事あるごとに「ロックだぜ」「最高にロックだ」が口癖にようになってしまったりと、なんかプレイしすぎたせいか日常生活にまで影響が出てきてしまいました。主題歌も最初は普通に聞いてたのにいまや「キミもご一緒に♪」の後に本当に俺も一緒になってなんかオリジナルの振りまで付けて歌いながら踊るようになってしまいましたからね!しかも毎回!毎度この歌聞くたびに歌いながら踊る(ように調教されてしまった…)。デモムービー流してるエロゲ屋行った時なんかは全力で我慢する羽目になりますわ。もう本当、圧倒的なボリュームによって暴力的に『まじこい』漬けになったおかげで、心も身体もまじこいナイズされてしまったわけです。なんか疲れた時とかトラブルあった時にも「勇往邁進!」「川神魂!」とか言う言葉が脳裏によぎるし……。そんなわけで、ついに『A-5』なのは、感慨深くもあり切なくもあります。最初の方はよっしゃやるぜ~~ずばっと終わらせるぜ~~って感じだったのですが、ここまで来ると、もうこれで終わってしまうのか、終わらせたくない……みたいなせつなさしかありません。もうすぐ終わってしまう……



・マルさん

『S』の時、マルさんルート初っ端にナレーションで 「人間には相性というものがある」「マルギッテと自分が最高の相性である事実を、彼はこれから実感していく運命にある」 と語られてて、まあ実際そんなお話であり、この『A』マルさんルートも序盤~中盤のマルギッテとイチャイチャするターンの頃はまさにそんな感じであったのですが、この「相性が良い」というのは当然ながら色んな要素が複雑に絡んだ結果として「相性が良い」という話でありまして、その中でも特に目立ったのが大和の「甘え上手」さとマルさんの「甘えられ上手」さではないかなと。
よくあるのが、大和が○○したいとお願いしたり欲情して体触ったりして、それをマルさんが丸々許したりあるいはダメと拒みつつ「まったく…」と言いながら許容したり……というのがよくあるパターンなのですが、この「ダメ」と「まったく…」を大和が絶妙に見抜く。たとえば料理しているシーンで大和がお尻を触ったり揉んだりとちょっかいかけて、マルさんはそれを優しくやめなさいとたしなめるのがあったのですが、しかしそれは強い拒絶ではないからこそ大和は(強くないとは言え拒絶なので遠慮しつつも)お尻を触りかつ揉むし、マルさんも強い拒絶ではないからこそ「まったく…」と言いつつそれを受け止める。逆に水族館に行く車内では、

大和「お堅いマルさん、素敵だよ」
大和「おもむろに胸を揉みたくなったけど我慢する。褒めて」
マルギッテ「運転中だ、当たり前だと知りなさい」
注意されてしまったが、マルさん相手だとそれもまたヨシ。
(中略)
マルギッテ「ついたぞ。道が思ったより空いていて幸運だった」
大和「いつも運転あざーず! 今なら遠慮なく揉める」
マルギッテ「あッ! んっ…もうっ。やめなさい」
イタズラしてから外へ。

このように強い拒絶の時は大和は手を出さないし、それでいて「運転中だからやめなさい」のその「運転中」という条件が解けたら喜んで手を出すし、マルさんも運転中ではないのである程度は(イタズラ程度は)受け入れる。この辺の、”相手が本気で拒絶してないところまでを突く”というのが大和くん異様に上手いわけです。そしてマルさんもそうされるのは決して嫌いじゃない。このあたりに二人の相性の良さがよく見て取れると思いました。またマルさん流の甘えと大和くんの甘えの受け入れも相性の良さでしたね。猟犬部隊のみんなと仲良くなるたびに生じる嫉妬感を(京極にアドバイスされたように)きっちり喋ってエッチで発散するという、とても健康的なマルさん流の甘え方。最終的には「わんわん」と犬になってしまうわけで、「そして犬とくれば、俺の得意分野だ」 とA-4で武松さん見ながら言ってたように大和は犬マスターでもあるわけであり、そういう意味でも相性はとてつもなく良いわけです。


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お手本のようなフラグを立てるテルさんの図

さてマルさんルートは半分猟犬部隊ルートでして、そして猟犬部隊のみんなすっげー良いキャラクターたちで可愛いし素敵だし格好良いしキュートだしで本当大好きになったのですが、しかし晴れて猟犬部隊に入った大和くんの元にはなんだかんだあって最終的に完全に大和ハーレムが出来上がったわけでありまして、もうこれあまりのやりすぎっぷりに大爆笑してしまいましたが、しかし盧俊義設定はすごい。こんなになっても「盧俊義だから仕方ない」で納得できるし説明もできるから盧俊義すごい。まあ猟犬部隊だけあってみんな犬属性であり当然大和との相性は良いのであり、褒め上手な大和と(実はマルさんもそうだったけど)褒められ上手な彼女たちは当然相性が良いのであって、ある意味妥当っちゃ妥当なんですけど……でもこれ『A-4』で「大和は盧俊義(の資質ある)」と言われてなかったらなんだよこれやりすぎだろって思ってしまいそう。

しかし「盧俊義だから」で何の苦労もなくエスカレーター式にここまで来てるのではなく、梁山泊編でもある程度そうだったけど、そこには沢山の苦労と努力、鍛錬と勇気、皆と仲良くなるこまめな気遣いと立ち回り、そういうのがあったからこの状況に辿り着けているわけでして、その辺は実にまじこいらしいし大和らしい。そしてこの関係もまた、シナリオのラストに 「皆が幸せな関係」 と書かれていたように、これはこれで幸せである。このあたりも実に大和ですね。それが変であろうが普通ではなかろうが、ハーレムであろうがレイプ並みの強引さからはじまったものであろうが出来ちゃった婚であろうが、9年間思い続けた恋であろうが相手がロボであろうが、自分も幸せになるし相手も幸せにする。猟犬部隊入る前に、フランク中将が 「直江大和、どんな進路に落ち着くか分からないが女性を幸せにしているという点でまずは、やるではないか」 と評したように大和は女性を幸せにできる男であり、そしてこのハーレムも一般的に見るなら歪んだ関係のようかもしれないけれど、書かれているように「皆が幸せ」であるのなら、まずはその点だけで既に「やるではないか」と言えるのだ。


ちなみにリザが賭けてた競馬の菊王賞は菊花賞のパロディですが、ジークさんの回想で出てきたオイロパ賞の方は実際にあるレースで、バイラミーもオストランドも実在します。バイラミーが勝ったのは2008年、つまりジークルーンが部隊に入ったのは(恐らく)2008年だったのか。しかしリザさんの「どの馬が勝つと思う?」と聞いておきながら相手の返答をガン無視して「ちげーよ○○が来るんだよ」と自分の話に終始するあたりは本当ダメな競馬オヤジみたいでギャンブル絡むと本当ダメだわこの人ww



義経

『A-5』にして遂に登場の義経ルートですが、途中の選挙のところの選択肢ゲームとか本当に「遂に」という感じがして感慨深いですね。これをやるにはこの人物が適しているはず……とキャラを選んでいくのですが、それは今までの彼らとの触れ合いと積み重ね、今まで僕らがプレイしてきてどれだけ彼らのことを知ったか・覚えてきたかを問われているようであり、また他のルートでは大和がやってる(こういう人脈を使ったことは大得意)ことを敢えてプレイヤーに選択させているゲームでもあって、そういった遊びがここで出てきた(こういう遊びはゲームの最後の方でなくては意味がない)というのも含めて本当に感慨深い。

今回はここまでちょくちょく伏線を張ってた「M」が登場。『A-4』の終了時掛け合いでクッキー2が「次回はいよいよMの正体が明らかになるぞ」とか言ってた時は「Mはお前じゃねーか!」と思ったのですが、さすがにクッキーではなかった。てゆうか最上のイニシャルそのまんまだった。この最上父は作中で言われてたように完全に頭がアレだったのが『まじこい』にしては珍しいですね。この人は自分の考えを圧倒的に信じてるし自分の正義を一分の隙もなく信じている。だから大和父が言うように「話が通じない」。たとえば大和と最初に会った時の会話がそうであったように、相手が自分の話にどのような反応を見せているのかというのをまるで気にしてないんすよね。それは自分を信じてるから。相手がどう思おうがどう考えようが、自分の信念を変える必要がないしワケがないし意味がない。だから……話し合いで考えを変えることなんて、いやたとえ殴り合いだろうが殺し合いだろうが考えを変えることなんてことは決してないから、だから「話が通じない」。ある意味どこまでも無邪気な人でしょう。そしてそんな人だからこそ娘の気持ちが(真の意味では)分かっていなかったと言えるのかもしれない。

まあ最上父も最上旭ちゃんも良いキャラだったのですが、どうやらプラスディスクで最上旭シナリオがあるようなのでここでは置いといて、その義経vsアキちゃんのバトルですよ。まさかのアニメ演出! 一枚絵も豊富ですし技の応酬も見ごたえあって、『A』シリーズの中では一番気合が入ってるし一番見てて楽しいバトルでした。

旭「恐い、恐くないって言えば…正直、恐いわよ」
旭「でも人類への恩返しがお父様の夢だから。私は覚悟を決めているの」
義経「!」
旭「私達は、英雄なのだから人の役に立たねば、ね。それが私の存在意義、ふたつめよ。運命のようなものね」
義経「そんな理由だったんですか!!! 変えられる事を、運命などと…!!」
旭「…義経? 何をそんなに怒っているの」
義経「義仲さんは無理をしている! そんな悲壮な覚悟に気付かない父親と、それを運命と受け入れてる義仲さんに怒っている!」
旭「最終的には私自身が覚悟を決めたのよ?」
義経「無理をして決めた儚い覚悟です。そんなモノ、義経がとめます! とめてみせます!」
旭「随分と個人的で、小さい感傷ね義経
旭「父様と私は、世界のために動こうと言うのよ」
義経「小さい…そうかもしれません」
義経「だけど義経は、とても気に入りません」
義経「だからとめます!!!」
旭「子供のわめきのように聞こえるわ…」
義経「大人の諦観よりはマシです!!」

この源義経は、あの英雄源義経のクローンであるけど、”この源義経”という一個人であって、”あの源義経”ではない。勿論九鬼や世間にあの英雄源義経を求められればあの源義経みたいな格好してイベントに出るしパイナップルが好きだと言うけれど、今ここにいるのは”あの”ではない”この”源義経であり、普段はみんなや大和とこの源義経として過ごすし大和とイチャイチャするしエッチもするし、りんごが好きなんだからりんごが好きなままである。

そういう源義経を、大和との出会いから、自分自身を見つめること、九鬼からも肩書きからも離れてアルバイトをすることによって見出してきた。そこが―――大和と出会ってからそういう経験を積んできたということが義経と義仲最大の違いで、その部分が真逆で、義経はこの源義経として一個の自分が確立されている、自分の基盤やアイデンティティ・すなわち「自分とは何か」という部分をクローンでもあの英雄源義経でもなく、この今の自分自身としての源義経としている。対して義仲は作中の彼女の言葉にあるように、上の引用文にもあるように、クローンである・英雄であるということに大きく捉われている。……いや捉われてるといっても、半分以上は(あるいは殆どは)暁光計画のためにと言ったほうが正しいかもしれません。暁光計画は完成されたクローン技術を各国に提供する計画であり、そのために(完成されたクローンであることを示すために)義経と戦うのであり、それを最上父は 「だから娘には証明してもらわなくちゃいけないんだ。自身が完成されたクローンであるって」 と言っていましたが。それはつまり、ここで求められてるのは完成されたクローンの凄さということでして、それは「最上旭はすごい!」ではなく「源義仲すごい!」でもなく、「(最上旭とかいう源義仲の)クローンすごい!」であって、一個人としての”この最上旭”ではなく、あくまでクローンという立場・アイデンティティに立脚した上での”最上旭(クローン)”が求められているのである。でもそれは、たとえば彼女の性格が源義仲とも人類の英雄たるクローンとも大なり小なりズレているように、趣味で官能小説読んだりやけにエロに積極的・挑発的だったりという性状を彼女自身が持っているように、恋人の命を助けるために他全部を敵に回すヒーローに 「それで助かった恋人が喜ぶのか、という問いに、それでも俺は彼女に生きていて欲しいと思う、間違っているかは関係ないという返しが人間臭くて素敵だったわ」 と……世界の人の笑顔のために在りたいと言いつつも、その逆とも言えるある種利己的な思いに対して「素敵」と感じていたように、そして義経の人間臭い怒りに彼女から離れたくないと人類のための計画を降りたように、それは彼女の本当の本心ではなく、彼女の本当のアイデンティティや自己の基盤ではなく、つまり最上旭の「自分とは何か」はそういうものではなかった。そういうものだけではなかった。

義経が上の引用のような最上旭の心を動かせる言葉を発せられたのは、そういう考えが義経も出来るようになったのは、彼女が自分自身を見つけ出し成長したからでしょうし、そしてその成長が過去と今を分離させたけどあくまで「源義経」であって、つまり自分が源義経のクローンであることを全く否定してはいない(ただその中で”どうあるか”を変えただけ)というのがまた『まじこい』らしい自己超克の成長でした。自分が自分であることは誰にも変えられないし、どう足掻いても変わらない。自分が源義経であることは嫌だろうが何だろうが変えることは出来ない。それこそ義経のいう「変えられる事を、運命などと…!!」に照らせば、変えられないそれは運命のようなものなのだけど、しかしそうである自分がどう生きるか、その中で自分がどう思うか、それらは幾らでも変えることが出来るし、だからそれは運命ではない。クローンとして生まれたことはもうそうなっちゃったものは仕方ない、変えられないものは変えられない、詰んでるものは詰んでる運命だけど、そこでどのように生きていくかは幾らでも変えられる運命ではないもの。運命ではないのだから自分の力と、努力と、意思で、いくらでも変える事ができる――


しかし弁慶と3Pしだすルートは今までだったらなんやねんそれやりすぎじゃないかと思ってしまうところなんだけど、盧俊義設定を知った後ならこれも「盧俊義だから」の一言で済むから盧俊義すごい。あの真面目な義経と弁慶との3Pとかいうちょっと現実的ではないしシナリオの流れ的にも(比較的シリアス路線というかエロ抑制できてたのに急にこうなるあたり)違和感あるけど盧俊義だから仕方ないんだ!! 盧俊義すごい!! わっしょいわっしょい!! 盧俊義祭りだー!!(というかここまでくると逆にプラスディスクあたりで大和スーパーハーレムの超盧俊義祭りシナリオとか期待してしまう)




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あと今回のシナリオとは直接的には何も関係ないけど、源氏総選挙で最上旭さん陣営を選んで勝った直後に見せたこの燕さん超可愛い。権謀術数、嘘も策も何でもござれの燕さんが、

燕「我ながら今回はクリーンだったよ?」
燕先輩は屈託の無い笑顔で笑った。

というように、ズルいこと卑怯なこと一つもしないで屈託の無い戦いをした結果の勝利でこの屈託の無い笑顔ですよ!! しかも(テキストに準じるなら)みんなが「ばんざーい!」とやってるところで合わせてばんざーい!ってしてるのではなく、「じゃあ祝勝会をはじめよう」と言ったらその直後にこの「ばんざーい! ばんざーい!!」ですよ!! よっぽど嬉しかったんだな、純粋に喜びを爆発させてるんだな、あの燕さんが真正面から真っ正直に戦った後だからこそ見せるこの屈託の無い笑顔と真っ正直な喜び方、そんな笑顔でそんなばんざいでそんなシーンなんだなってことがよく分かるし燕さん可愛いしこの燕さんを幸せにしたい……いや、燕さんを幸せにしてこの笑顔をもっと出させてあげたい……! と思わずにはいられなくなるわけです。



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【今回のベイスターズ】 ツッツが打った!! ツッツまで出てきた!! てゆうか実名使えないから例えば筒香とか出す時どういう名前にするのかなって思ってたらなんJとかでよく使われてる「ツッツ」そのまんまで来やがった!! 七浜の空高く~ホームランかっ飛ばせツッツ~!!(どんどんどん!!)
スタジアムからは以上です。




・橘天衣

『S』の時はシナリオはじまった瞬間にゲームが終わるというエロゲヒロインにおける最大の不幸に出くわしてしまった天衣さんの、今度はちゃんとあるシナリオ。『A-1』から順番に、キャラクター選択の左側のキャラから順にやっていくと一番最後になるというのも一応不運ではあるのかな。

さて天衣さんは、電化製品に触れば壊れるし、行列に並べば自分の前でちょうど品切れになって終了するし、何もしてなくても空から鳥のフンが落ちてくる、さらに酷いときは隕石まで落ちてくるという不運の星に生まれ不運の神に愛された超・不運キャラでありますが、そんな彼女が自らの運命に立ち向かって行こうというのがこのお話。しかしプレイしてまず思うのが、自分に襲いかかる不運に嘆きながらも、「自分の影響で周りの人に降りかかる不運」に対して非常に敏感で、不幸がうつってはいけないからと他人を拒絶するし、いざ大和が風邪をひこうものなら涙を流しながら「ごめんね…ごめんね…」と言ってくる、この彼女の優しさといじらしさにまず僕なんかはやられてしまったわけです。大和くんもやられてしまったわけです。


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自分の不幸に他人を巻き込まないために他人を遠ざけるというのは、優しい人だからこそできる気遣いである。そんな人だからこそ報われて欲しいと思うし、そんな人が涙を流してたら放っとけないし、その諦観に満ちた表情をどうにかしたい。それは僕もそう思うし、大和も多分似たようなことを思ってたはずである。……大和は「面倒見が良い」と作中で言われていて、実際様々なキャラに様々な方法で面倒見が良いのですが(だからこそシリーズ通して20人以上攻略できたと言えるのかもしれないw)、しかし京が天衣さんを見て (…なるほど、大和が面倒みたくなるタイプの人だ) と評してたように、誰にでも面倒見が良いわけではない。誰にでも面倒見が良い人というのはただのおせっかいな人と紙一重ですしね。それは大和が、最初に天衣さんをどうにかしたいと思ったときに、 天衣さんは自ら去ってしまった。/多分、不幸に俺を巻き込まないために。/そんな心遣いが分かるからこそ、どうにかしてあげたい。 と語っていたように、天衣さんの優しくいじらしくそれでいて報われないという性格と運命が引っかかったのかもしれない。京が先の評を発したときのように、天衣さんが自分のことも他人のことも心配してあれやこれやと不安がってしまうこと、そしてそれは他の誰かや何かを信じたり頼ったりしていないからこそこんなに不安がってるというところに感じるところがあったのかもしれない。あるいは大和の面倒みたいタイプであっても、天衣さんが大和の前で泣いて、 泣いてる子を目の前にして、見て見ぬふりは、もうしないと小学生の時に決めたんだ。 という決意を大和に思い出させなかったらこんな関係にはならなかったかもしれない。

まあそんなわけで、大和が天衣さんを何とかしようと奮闘するのがお話の序盤なのですが、逃げられても避けられてもあの手この手で追いかけて、天衣さんに近づくためにあの手この手を尽くしてと、いつものように大和らしく頑張っていくというのが良いですね。「キャップの部屋で過ごす」という策はかなり早い段階で思いついたのだけど、その時点では天衣さんに断られるだろうから、大和自身が天衣さんがその策に乗った時に (ようやくOKもらえる距離感になった) と言ってたように、「距離感」というものを徐々に縮めていった。この辺の大和の人付き合いの考え方・手法は色んなシナリオに通底していますが、それはあくまで、大和の特殊能力とか偶然性に頼ったものとか何か知らんけどそうなってるとかではなく(つまりエロゲでたまによくある「何か知らんけど女の子と仲良くなってる」「特に何もしてないのに何故か仲良くなる」「偶然に女の子によく会うとか偶然に女の子を助けるとかの偶然が重なりまくって仲良くなる」ではなく)、ちゃんとコツコツと地道に一歩一歩、逃げられても追いかけたり細かく気を遣ったり人脈を駆使したり場合によってはプレゼントをあげたりといった地道で、かつ現実的な努力をした末での結果というのが実に素晴らしいし『まじこい』らしい。『まじこい』は超人じみた武道家やロボや超科学が出てきたりして何でもアリのチートの世界みたいですけど、実は何でもアリなのはその「前提」の部分だけであって、そこで繰り広げられることは”その前提の上で”は現実的である*4。超すごい武道家だからって武道以外も何でも出来るわけでもないし、ロボも機能的限界もある(クッキーだってしょっちゅうメンテしてる)。たとえば問題が生じた時に武力で何でもかんでも解決とか、科学技術で超すごい発明やメカを作って解決となるとは限らない(もちろんそれらが求められる問題ならそれで解決するけれど)。何もかもが上手く運んだりはしないし、障害は殴って吹き飛ばすというやり方では限界があるからこそ、大和もみんなも、一生懸命鍛錬して勉強して、努力しているわけです。そしてそういった努力、頑張った先に道が出来る。

それは恋愛についても同じである。島津寮に来てからもう徹底的にケアしまくって、たとえば蝉の死骸とかなんとなく不幸を感じさせるものはこっそり始末したりとかいがいしく働いて、その結果立ち直ってきた天衣さんのこの笑顔!!


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大和がこの笑顔に心打ちぬかれた、この笑顔で(正式に)恋をしたと語ってたけど本当そうだよ!! あの諦観に満ちた表情だった天衣さんを、癒して優しくしてかいがいしくケアして、その結果天衣さんが立ち直ってきて、だからこそ見せてくれたこの笑顔!! なんて素敵なんだ!!

そうして大和くんは天衣さんに恋をして告白するわけですけど、今まで多くのシナリオでそうであったように、好きだ!よし!告白!!ではなく、ちゃんと時間をおいてタイミングを見計らってデートして雰囲気盛り上げて「これでいける!」となってから告白、というある意味現実的な努力がすっっっごく良いですね(好きになったら即告白のシナリオもあるけど、逆に言うとそれは女の子と自分との関係が「それでいける」状態だったということです)。告白するのにこんだけ色々と考えて作戦立てる主人公というのもエロゲではなかなかいませんが、逆に現実世界ではこういう風に雰囲気作ってから告白というのはむしろ当たり前で。『A』シリーズでは殆ど見かけませんが、『無印』なんかでは女の子を「落とす」という言葉を使っていて、ナンパものエロゲならともかく、こういったゲームで女の子と恋人同士になること・女の子に惚れられることを「落とす」と表現するのは非常に珍しいですし、個人的にはそういう現実感と、ここまででも書きましたけど運命の相手でも特別な相手でも何でもない感じ(なにせ「落とす」なんて言い方しているくらいなのだ)というのが非常に好ましいです。そしてそのようにある種「軽い」と捉われかねないくらいのノリなのに、今までのシナリオで見せてきたように、大和くんはガチで女の子を幸せにしていけるわけです。そして自分も幸せになるし。

さて、 (軍師の名にかけて、女の子という城を攻め落としてくれる。この城、もう城門が開いてる気がする!) とか語りながら敗れるというこんなん自分だったら恥ずかしすぎて死ぬわ状態に大和くんは陥るわけですが、しかし『A』シリーズで言えばあずみシナリオとか李さんシナリオがそうだったように、好きじゃないから・嫌いだからではなく、何かしらの事情のようなもので断られた場合は大和くん決して簡単には諦めないわけです。この辺、大和の恋への姿勢はまるで主題歌みたいですね。「あの手この手で必勝宣言 真剣勝負勝つまでやめない」。そして天衣さんの場合も、大和のこと嫌いではない、むしろ好きだったということが語られます。転んだ拍子にフェラの格好になったというおもしろイベントがありましたけど、あの時大和は転んだだけでこんな格好になるなんて天衣さんなんてついてないんだと言ってましたが、実は寮の中での出来事だからあれは不運ではないんですよね。実際に天衣さんも「幸運」だと言っていた。恩返しのために大和を気持ちよくできるから。しかし恩返しのためとはいえこんなこと普通に出来るのは、その時点で大和に対する充分な好意が(未自覚かもしれないけど)あったと考えても間違ってはいないでしょう。
それなのに一度断ったのは、自信の無さ。自分が好きではないこと。
それが分かったからこそ、自信を付ける。自分を好きになる。

そんなわけで、天衣さんが自分を何とかしようとするのがお話の後半です。自分は不運であるし不幸であるけれど、それはたとえば幸運の近くにいて弱めることが出来るし、行動次第では不運に遭う確率を下げることができるし、考え方によっては不運を不運と思わなくなる。そうやって不運に立ち向かっていける。『まじこい』の、ってゆうかタカヒロさんの特徴として、たとえば女の子がトラウマ抱えててもそれをよくあるエロゲヒロイントラウマ問題みたいに主人公が完全に解決したりすることがまずないというのがありまして、この『A』シリーズにおいてだけでも、焔は暗闇怖いままだし、林冲の「守る」という強迫観念は消えたわけではなく(弱まりはしたかもしれないけど)ただ大和が林冲自身が信頼できるほどに強くなったということで乗り越えたし、ウルトラロックさんは健在のままである。過去作品でも、昔書いた感想のリンク貼るの恥ずかしいですけど(なにせもうすっげー昔だ)、たとえば『君が主で執事が俺で』なんかはまさにそうである(http://nasutoko.blog83.fc2.com/blog-entry-41.html)し、『つよきす』で言えば祈センセイなんかはトラウマも問題も何も解決されなかったけど「それはそれでよし」な感じで話終わったのです。そのように、タカヒロシナリオでは色んな問題や、トラウマを解決しない(しきらない)まま終わることが多々あるのですが、それは恐らく本屋の店長が言ってた

大和「どうしたら不運って打ち消せますかね」
店長「いや、その考えは危険だぜバッキャローよ」
店長「己についてまわってるもんを完全に消してしまえば、ゆがみが出るぜ」
店長「うまくつきあっていく、ぐらいじゃねーと大変だぜ?」

のような考えによるものかもしれません。昔自分が書いた文章から持ってきますが、たとえば『きみある』ですと、ミューの身体的なコンプレックスとかそこから至るいばりんぼ気質・説明好きなところとか(要するに身体がアレな分、頭脳MEISEKIとか威厳・威光・徳などの「目に見えないもの」に依存している点)、夢の姉と比べての自意識コンプレックスとか、森羅様の子供っぽいところとか、まさに彼女たちのトラウマの影響、言動に表れる徴であるのですが、しかしそういったものは『きみある』では大きく問題として扱われない。その辺はもう彼女たちの性格を構成する要因というか、枠を定める枠の中のものとして埋没しているかのように処理されている。これらは、実際的には問題となる(他のエロゲ的には問題となる)素養を十分有していることなのですが、『きみある』においては問題の俎上にすら上がってこない。彼女たち自身のものとして処理されているわけです。それはたとえば性格として、性質として、自己の中に埋没している。
つまり、トラウマというけれど、それだって今の自分を構成する大きな要因であるし、問題となるような性格や性質だって、それが無ければ決して今の自分にはならないわけです。日常生活や人間関係に支障をきたすほどであれば実際に作中でも解決に向かいますが、それこそ暗闇が怖い(けど我慢できる)とかウルトラロックとかいう別人格がいる(けどそれとの付き合い方はコントロールできてる)とかならそれはそれで「大丈夫」なものとして扱われるし、実際大丈夫である。それは百代さんの戦闘欲求とか弁慶のだらけといった性格的なものも同じで。『まじこい』もそうだし、『つよきす』なんかでもそうであるように、他の女の子のルートに行くと当然ルートヒロイン以外の彼女達はトラウマや問題が解決されない(されるところが描かれない)わけですが、それでも彼女たちはそれでも彼女たちなりに日常生活を送っていってるし、本編ではエピローグで「数年後」とか出てくることもあったけどそこでも彼女たちなりに元気に暮らしている。
だから本当にクリティカルな問題以外は解決しないし、それこそそういったものを完全に消してしまえばそれはそれで「ゆがみが出る」。それが既に彼女たちの構成要素にもなってるから。天衣さんの場合は「不運」がそれであり、だから幸運の近くにいて不運を弱めて、行動に気をつけて不運に遭う確率を下げて、不運を不運と考えなくなるするという形で不運に立ち向かってるけど、不運そのものを無くそうとはしてない。けれどそれでもやっていけるし、それでもやっていけるくらい強いし、それでも幸せであるほど強いのである。戦闘中に靴紐がほどけたけど、一瞬 「よりによって、どうして私は、いつもこんな時に…」 と不運に気持ちを捉われてしまったけど、次の瞬間には顔を上げて 「これは。ただ靴紐が切れただけ!」 と言い切る。その強さ。それが立ち向かうということ。


それこそ、義経シナリオで言っていた、「変えられる事を、運命などと…!!」である。世の中には変えられないものもあるし、どうにも出来ないこともある。天衣さんの場合は「不運」が付きまとうのはどうにも変えられないことで、弱めることと気をつけることと心持ちを変えることしか対抗策はない。しかし、そこは「対抗」できるのです。不運そのものは自分の力ではどうにも出来ないことだけれど、その不運に自分がどう対応するか・どう受け止めるか・どう対処するか・どう捉えるかは、自分自身のことだし幾らでも変える事ができる。それは運命ではない。不運は自分に付き纏う運命でも、そこで自分がどうするかは運命で定められてはない。だから、たとえば誕生日にホテルでまったり過ごしてたら突然テロリストが現れるという不運に対しても、 「不運相手には嘆くだけでなく、立ち向かう。お前に教わったことだ」 とし、「いじけるだけだった彼女はもういない」 と言われるように、不運に捉われてた自分という自分自身を超克した彼女はこうやって、


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立ち向かっていく。



プラスディスク

ここまで14人の「だって真剣青春だから~♪」を聞いてきた上で、ここで遂にみんなで合唱の「だって真剣青春だから~♪」が流れるとか反則と言っても過言ではないでしょ。もう正直泣く。タイトル画面だけで泣く。


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それはそうとチュートリアルやるまで気付かなかったけど、そういえばアイエスって『本編』『S』『Aシリーズ』『SPARK』全部あわせてもアイエスシナリオ以外では全く出番がないんだった……。サブキャラはともかくメインヒロインでは、自分のシナリオ以外全く出番がないという唯一のキャラだ……。ああ、アイエス!!アイエスッ!!!ア・イ・エ・スーーー!!!!(久々に会えた嬉しさと出番なさすぎる悲しさゆえの咆哮)
沙也佳ちゃんも出番の無さは似たようなレベルですね。チュートリアルだけど、出番があってよかった、今までの分も喋ってくれ、おかわりもいいぞ!って慈しむ気分で心が満たされる。



・最上旭

まさかのエロエロアンドエロ、そしてエロ、さらにエロなシナリオ。最初はエロばっかだなぁ、まあ最上さんだしなぁ……と思ってたらまさか最後までエロばっかだったとは! 予想以上にエロしかなかった! 義経シナリオの感想のところで「アキちゃんについてはプラスディスクで語ります」みたいに書いたけどエロしかないから語ることがなかった!

まあそれでも敢えて語ると、一見優等生で成績優秀で凛としているお嬢様が裏では実はエロエロ……というエロゲではよくある題材に見えるけど、しかしプレイするとまるでそうは思えないのは、 「生と性は切り離せない」 「エロスは偉大ね。人を進歩させる」 「性の可能性は無限大ね」 という台詞のように、彼女の言ってることもその思想もめちゃくちゃ大きいからではないだろうか。エロだけど、その思想はしっかりして一貫性を持っていて(なにせ「自分達の恋人関係の進化のため」とか言ってローター持ってくるのだ。自分達もエロで進化すると思ってやがる)、しかも大言壮語と言わんばかりに雄大で、だからこそ単純な即物的で快楽的なだけのエロではない、芯が通っている思想としての、生き方としてのエロと言って全く持って過言ではないし、つーか多分もうこれ絶対そうだよと言ってもいいのではないだろうか。この人の思想だ。生き方だ。義経のところで自分は何者であるか・アイデンティティの問題、そこが義経と最上旭大きく異なると書いたけどそのアイデンティティとか自分は何者かってことの答えの大部分がこの「エロ」だよね最上旭さん絶対。じゃなければ説明できない。この飽きることなきエロスへの傾倒、のめり込み、命をかけてるか…あるいは自分自身を・自分の存在意義をかけてるかのようなこの真剣さは。それ故にエロこそが彼女自身を構成するとても大きなものだ……あるいはそれが殆ど全てだとしか思えなくなる。実際にここまでやられると、美しく偉大で素晴らしく壮大としてか言いようがないわけです。まるでゾズマ氏が死んだフリ大会の時に「何事も極限まで極めるという事は…美しい。そこには宇宙がある!」と言っていたように。ここには宇宙がある。

そうとしか言えない。
そうとしか言えません。

他に何が言えましょうか。いや義経シナリオでは徹底して「源義仲」としか言ってなかったのに逆にここでは「木曽義仲」で徹底しているのは、それこそ暁光計画、義経より優れていることを示す、クローンであることに自身を立脚させ決意を秘めてる、そういった点が霧散したからであって、だからここにいるのは(義経と同じように)”あの英雄木曽義仲”のクローンではあるけど”あの木曽義仲”とは別人であるこの木曽義仲こと”この最上旭”であって、そういう自己を持てているんだけど、そこにおいて自己の構成要素で大きな割合を占めているのがエロスであり、そうなるとこうなるのであって、えーと……

以上終わりです。



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しっかしこれとかすっげえっスよ!! こんなのかなりの抜きゲーじゃないと見れないような台詞っスよ!! それが『まじこい』という超メジャータイトルで見れるわ、しかもこの台詞が似合いまくってるわ……いやもうなんというか、何にも言えないです。以上終わりとしか言えない。



・猟犬部隊

テルさん男嫌いの克服に奮闘するシナリオ。 (…勘違いをしていた)(これは、私の性分なのね) と、男嫌いを自分が生来持つもの、切り離せないもの、サガであると考えるのだけど、特訓していって 「ちゃんと向き合って……ちょっと頑張れば、苦手なものなんて、すぐに克服できるものなのかもね」 というように克服していく―――のだけど、決してもう全然大丈夫どんな男でもおkという状態になったわけではなく、ガクトは脳内置換で賢人モードだったし、他に会ったのはルーさんとかロリコンとか仕事として引き受けた宇佐美先生とかだったしと、これでもう絶対大丈夫といえるだけのものと向き合ったわけではないんですよね。実はかなり楽な相手・楽な条件としか試してない。でもまあ、ここまでで書いてきた話でもありますけど、それはそれなのである。日常生活を送れないレベルでは不味いけど、とりあえずのレベルさえ乗り越えてくれれば、あとは自分自身のある種の性格・特徴のように付き合っていけるし、徐々に治していってもいいし、別に治さなくても生きていけるし幸せになることもできる。

ということでこれはテルさん男嫌いの克服に奮闘するシナリオでもあるのですが、それ以上にテルさん可愛いよテルさんなシナリオと言えるくらいテルさんマジ可愛いよテルさん。

男嫌い+お嬢様+ツンデレみたいな要素が色濃く出ているキャラクターですけど、意外と『まじこい』にはいないタイプでしたね。というか『まじこい』はあんだけキャラいるのに細かく見るとキャラは被らなくなるし実際細かく描くから実際キャラは被らない、たとえばモロとスグルとか梅先生と板垣長女とかの一見すると被ってるかのようなキャラも趣味とか使う武器が同じというだけで性格・性質的には実は全然被ってないあたりよくできています。たとえば『A-1』でスクウェアのゲームだとスグルは聖剣2が一番好き、モロはFF7、ヨンパチは何故かレーシングラグーンが好きとかいう会話がありましたけど、こういうところにそれぞれの性格や性質が色濃く出てるしわざわざそれを描くのが面白いです。多分スグルはライブアライブとかロマサガシリーズとかも絶対好きだろうし、逆にモロは意外にも王道派だからベタにFFナンバリングとかゼノギアスとか好きそうだし、ヨンパチはマニアックというより本当に意味わからん臭があるので、ブシドーブレードとかイズ・インターナルセクションとかのマニア受け作品ではなくチョコボスタリオンとか双界儀とかのマイナーだし特別に評価されてるわけでもないゲームを何故か好きそうである。また『A-4』のモロと大村の好きなエロゲトークも性格出ていていいですよね。モロは丸戸ならパルフェ、るーすなら車輪好きというモロらしいある種のベタさだけど、大村はこんにゃくはともかくその横顔好きだという独特のマニアックさがある。いや今考えると大村の自分を隠して偽って過ごしてるというのが『その横』と通じるところがあるのでは……とも思うのですが。まあそういった、キャラクター個々の性格が表れること、たとえばゲーム好きとかエロゲ好きとか一緒くたにされがちだけど実は皆それぞれ違ってるというのが描かれてるのが大変に好ましいのです。

まあそれはともかくテルさんなんですが、素直に気持ちを表に出さないツンデレ気質なんだけど、案外普通にわかりやすい(顔にも出るし)というのと盛り上がれば盛り上がるほど普通に気持ち口に出してくる、といったあたりが激カワなのです。なにせエッチシーンでは可愛い可愛いと愛でれば愛でるほどどんどん素直になって甘えてきて、エッチが最高潮に盛り上がってるところで「メール沢山送って面倒な女と思われないかいつも後悔している」「でも(メール見た大和が)一瞬でも私のこと考えてくれると思うと嬉しくてメール送るの止められない」ということをあえぎ声の中、イキかけながら訴えかけてきますからね。この人なんでこんなタイミングでこんなこと言ってくるのかというと、逆で、この人はこんなタイミングでないとこういうこと言えない人なのです。段階踏んで自分の気持ちを盛り上げて、身も心もどこまでも繋がって委ねて一つになってる時でないとこういうことを口に出せない。いつも思ってはいるのに、口に出せるのはそういう時だけ。そんなところが最高に激カワなのです。

また「顔に出る」というのは、たとえば川神院で鍛錬している大和を見に行ったときのこととかです。頑張ってる大和を見て、フィーネさんはその大和の描かれてないけど多分精悍であろう顔つきを見て (良い顔つきだ。根性の面だけではなく実力的にも、今後は戦力と考えてよさそうだ) と戦力として評価してるのに、テルマさんは

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これですからね。軍人、戦うものとして大和の顔つきを見たフィーネさんと異なり、完全に恋する乙女として見てるよこの子……! そしてフィーネさんに注意された後のテルマさんの台詞が 「!?」 だったように、完全に自覚していない。恋する乙女であることは自覚してても、それが表に出てしまってるのは完全に無自覚。その辺スーパーウルトラ激カワです。



・武松さん

大友の エロシーンだけ ないのだが(俳句)

武松さんシナリオというよりエロ詰め合わせセットみたいな印象が強いシナリオ。しかし「もう盧俊義祭りやってもいいよね」とか言ったら本当に(プチだけど)盧俊義祭りやってくれるとは。しかもこれ、単に盧俊義パワーで梁山泊に勧誘ではなく、エピローグでは必ず四人の銅像が建ってるようにここで誰と出会っても最終的にはみんな来ているということだし(そして京は常に勝手に来るのだ。さすが京)、さらに銅像が建つほどに彼女たちが活躍しているということで、盧俊義さすが凄すぎ盧俊義。あれだね、大和くんその気になれば銅像30体以上建てられそうだね。「MOMOYOが現れた…」とか各国首脳がビクビクしてるけど、そのうち「YAMATOが現れた!武士娘を隠せ!女は外に出ては危険だ!」とか各国首脳が反応してきてもおかしくない。

これまで幾度か、大和とエッチすると能力値アップするのではないかとか、大和の精液かけられて力が漲ってきたとかそういう描写がありましたが、しかし明示的には解き明かされておらず、実際に大和くんの股間に異能があるかどうかは定かではないのですが、とはいえ大和と関係持って能力アップというのは端的に言いますと

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こういうことですね。この台詞を普通の恋愛とは最も縁遠い青面獣さんが言うのもアレなのですが、ひるがえせば彼女ですらそう思うほど明確なのであって。恋をすれば、好きになれば、それは無限の力となる。今までのシナリオでもそういった場面はたくさんあったし、そして「恋する女の子はチート」と言うけれど、これまでの大和がそうであるように、恋する男の子だって湧いてくる力と勇気はチートレベルなのだ。恋する想いがあれば、鍛えて鍛えて軍の特殊部隊に入ったり、超人ぞろいの九鬼従者部隊で出世したり、勉強を重ねて成績優秀にまでなれたり、とてつもなく強い相手を鍛錬と特訓と知恵と策で倒したりもする。そこには努力も鍛錬も知恵を使った立ち回りも必要だけれど、恋の力はそういったことをする原動力となっている。



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しっかし公孫勝、超絶永久神話の神々クラスに可愛いなぁ。『まじこい』ヒロインはみんな好きですし、男キャラも好きなのだらけなので人気投票やるなら一人50票は最低欲しいくらいなのですけど、あえて好きなヒロイントップ5を言うなら紋様・まゆっち・京・コジマ・公孫勝がワイのトップ5や!!(性癖がよくわかるランキング) しかしそんな公孫勝ちゃんのエロシーンが何故ここではこんな寸止めみたいなものなのだ。何故ベストなエロを尽くさない。紋様と公孫勝の触れ合いという最高すぎて天地開闢しそうなほど素晴らしかったエピソードが『A-4』にありましたし、公孫勝とコジマの絡みもちょっとだけありましたけど、しかしこの3人のスリーロリーズ揃いぶみなエピソードはついぞなかった。何故ロリを尽くさない。『まじこい』はこの『A』パッケージ版でいったん区切りということですが、私といたしましてはいつの日か『まじこい』の続き、新たなファンディスク、とにかく何かしらが出て、そういったことが描かれることを切に、切に願っております(いやぶっちゃけ、ロリコニアが描かれなくても、いつかどこかで続いてくれるなら、また『まじこい』の彼女たちに会えるなら、それだけでそれだけでとてもとても嬉しいし、そうなることを願っています)。




・卒業式


ありがとうまじこい。

最後に見たかったのは「みんな」なんだ。そのみんなが見られた。みんなの見せ場があった。猟犬部隊の部隊としての強敵相手のガチバトルはそういえば初お目見えだし、中二を貫いた与一はこんな最後の最高の舞台で最大の必殺技を披露するとかいう激中二なことをしてみせるし、大友さんの何処までも真っ直ぐな豪快さは我が身顧みず敵を倒す本物の豪快さだったし、一子の大和への信頼と川神魂は愛おしく頼もしいものだし、バームクーヘン食べて復活する天衣さんというのも多分あれキャップが一緒にいたから不運要素が相殺されてだからバームクーヘンにありつけるという幸運に出会えたのかなぁと思うし何よりやっぱり物食ってる時の天衣さん実に可愛いし、久々に会えたアイエスは本当相変わらずマジアイエスだった(これだけで過不足無く説明出来てると思う)し、敵があらかた片付いた後に「さぁーやるのじゃー!!」とか腕上げてやる気満々になってる心とそれに対し「こーいう時はほんとノリノリだね」と冷静な突っ込み入れる小雪はこんな時であろうといつもの彼女たちでありとても嬉しくなるし、覇王様の圧倒的な王の格とか、燕さんのいつものようなこの戦いとか、百代さんのまさに武神な強さと、たとえ敵であろうと望んでもない戦いに身をおくことになった相手への情、「しょせん造られた強さだ。本気で強くなるなら、今日からランニングな」というように強さへの・武への誠、ナチュラルにナンパしているけど同時にそれは相手を幸せにする行動でもある(そもそも百代さんは一度嫌がったら次からは触ってこないように、無理に女の子に触れないしナンパしない)、そういった愛情にもある百代さんの誠……エトセトラ。みんな努力して頑張って諦めないで、川神魂持ってるから。真剣(マジ)だから。だからみんなが戦って、みんなが見せ場あって、みんなが輝いてる。

そして恋も、真剣(マジ)で続いていく。


思えば2009年からもう7年以上経つわけで、それこそ僕らが川神学園にはじめてやってきてから7年以上なわけで、間に空白がありながらもこれほど長い間ひとところの学園に在学し続けたことは僕らにもまずなかったわけです。それが終わる。これで『まじこい』は一区切り、当分――あるいは心の片隅では覚悟しておかなければならない永遠に――続きやファンディスクの類が登場することがないとすれば、この「卒業」は、僕らにとっても川神学園からの、『まじこい』からの卒業である。思うところはいくつもあるけど、寂しさも悲しさも溢れんくらいにあるけれど、今までありがとうと言う感謝も語りつくせないほどだけど、元気が欲しい時とか笑いたい時はまたここに来ちゃう(再プレイしちゃう)けど、エンディングテーマ曲が「卒業~明日へ~」というタイトルであるように、この卒業は明日へ、今日と地続きの明日へと続いていくのだから、ここはひとまず、大和や百代のように、明日からのバトルや明日からの恋を思って卒業しようではありませんか。さようならまじこい、ありがとうまじこい、また会おうまじこい!!!

楽しかった想い出はそれぞれの胸に秘めて。
その未来を輝かせるために。
俺達は、それぞれの第一歩を踏み出した。
キャップ「よーーーし!!」
キャップ「日は落ちて、祭りは終わった」
キャップ「進もうぜ! 明日へ! 勇往邁進だ!」
  ――『真剣で私に恋しなさい!』ラストルートの、ラストの一文より

*1:合間の釈迦堂さんの純愛ロードやSPARKはやったけど

*2:しかし書いてて思ったけど戦闘衝動を大和で補う姉さんみたいだな

*3:もちろん、努力していたからこそルオとこれだけ親密になりそしてあの事件が起きたとも言えるわけで、努力が全くの無意味でも無関係というわけではない。鍛えた力はピンチの時に役に立ったように一子の場合もそう。

*4:キャップと九鬼帝はその前提(アビリティ:超幸運)がチートじみてるので人生まるごとチートじみてもいるけど。しかし九鬼帝もこっそり鍛錬していたように、何も努力しなければそれなりの・そこまでの(つまり超幸運だけど何も努力してない人なりの)幸せとか財産とか人生とかしか手に入らないわけではある。