『ウィッチズガーデン』雑感(むしろ「E-mote」雑感)

ウィッチズガーデン』の雑感、というか主に「E-mote」の雑感を。ゲーム本編の話はあんまりしません。本編では莉々子さんがマジ神でした。あと『祝福のカンパネラ』と同じように、優しく気遣いされた世界というのが素晴らしかったですね。単に、そういう世界だ、なんていう話ではありません。たとえばタカヒロ作品のギャグに溢れた面白い世界は、実際にその世界にいるキャラクターたちが面白い言動を起こしているからこそそうなっているように、たとえば『おとボク2』の、キャラクターのコミュニケーションが非常に細かく丁寧に描写されているのは、実際に作中の彼女たちが非常に細かく丁寧なコミュニケーションを行っているからこそそうなっているように、『カンパネラ』も、『ウィッチズガーデン』も、気遣いと優しさに溢れた世界になっていますが、それはあの世界の彼らが実際に気遣いと優しさに満ちているからです。本当ね、よく見るとそういう描写ばかり。特に莉々子さんシナリオにおける「せい」と「おかげ」の使い分け・言い換えなんかは本当に最高でした。ということで結論、莉々子さんゴッド。以上ゲーム本編の話だいたい終わり。トルティア姉妹的なポジションのキャラがいないのが少し残念でしたが、『カンパネラ』好きな人にとってはマストバイでしょう。



先日、発売前に色々と憶測喋っちゃっていましたが(http://d.hatena.ne.jp/tempel/20121130/1354201588)、あれは半分当たりで半分はずれという感じでした。「キャラクターの演技」という意味でのE-mote、立ち絵演出はある程度憶測どおりで、そもそもそういったものはあまり重要になり得ない。人物の表情や仕草に、その人の心情が表れるというのは、私たち現実の人間にとっても同じで、それをエロゲ上において(デフォルメで)再現しているのが「キャラクターの演技=立ち絵表現」なのですが、これもまた現実の私たちと同様に、そのことに対し四六時中注視するわけではありません。人間、表情や仕草に、感情や思っていることが表れたりしますが、だからといって現実の僕らは会話するとき”常に”相手の表情や仕草を注意深く観察しているわけではないですよね。重要な会話とか、初対面のときとか、相手の心情を伺いたいときなんかは、そういった表情や仕草といった「現実の人間の立ち絵の変化」にも注意深く向き合いますが、気心知れた相手とのどうでもいいような雑談なんかでは、いちいち相手の表情や仕草を注意深く観察する機会はそう多くないのではないでしょうか。そういった現実での道理と同じように、エロゲにおいても、”常に”相手の表情や仕草を読み取りたいと思わせるような会話・展開が続くわけではありません。プレイ開始数時間は「おーすげー!」と熱心に見入ってても、だんだんどうでもいいやと、日常シーンや雑談シーンでは立ち絵の変化にあんまり注目しなくなってゆくのは、何らおかしいことではありません。現実の人間相手でも僕らそうなのですから。ですので、演技という意味では、E-moteが常に起動していることが、常に効果があるというわけではない。現実のコミュニケーションがそうであるように、気にかけないときはやはり気にかけないものなのです。しかし気にかけるときは、本当に気にかける。たとえば、現実の人間相手でも、普段表情や仕草に注意を払わないような気心知れた間柄でも、重要な会話のときや、相手の心情を言葉とか口調とか以外からも読み取りたいときなんかは、注意深く現実の人間の立ち絵の変化を観察しますよね。つまりエロゲにおいては、重要なシーン、我われが注意深く観察したくなるようなシーン、要するに、たとえば、告白シーンとか。
ということで、たとえば「告白シーン」なんかではこのE-moteが大活躍なわけです。特に「えくれあ」の告白のところとかやべーわマジで、微細な変化を動的に表現する「E-mote」サイコー! ってなります。今までのエロゲでも表情などの変化で感情表現はもちろん行っていましたが、表現力が段違いですねこいつは。破壊力倍増です。なのでこういう萌えるシーンとか超やばいのです。


基本的にですね、「E-mote」が最も強みを発揮するのはキャラクターの演技ではない。これは通常のエロゲにおける立ち絵演出も似たり寄ったりかもしれないと思いますが。もちろん、上に書いた「告白シーン」のように、その「演技」が最高に栄えるシチュエーションはありますし、そういうときは素晴らしい萌え! となるんですけど、しかしゲームプレイ時間においてそういったシーンは極僅かでしかありません。重要なシーンや初登場シーン、主人公とはじめて会話を交わすときや、ようやく親交が芽生えてきた頃とか、色々と相手の表情・仕草が気になるシーンもありますが、それだってゲーム全体から見れば1割2割に満たない。では、それ以外の箇所ではどのような効果を発揮するのか。

そもそも立ち絵というのは演技的機能が一番ではなく、このキャラクターがここに居ますよという描写のためだけにあるのではなく、「立ち絵そのものがキャラクターの表意になっている」という機能を持っています。手前味噌でアレですけど、自分が2年位前に書いてた別ブログ記事をここにリンクしましょう(http://d.hatena.ne.jp/n_nisin/20100718/1279389560

立ち絵というのはひとつの記号であり、それは「その時の」彼女を表していると同時に、「彼女自身」も表している。
(中略)
ですので、そこにあるのはひとつの記号=ポーズなのですが、しかし圧倒的に種類が少ない(立ち絵の種類は限られている)が故に、立ち絵の身体が文脈を無視してキャラクターを表現するかのよう=キャラクターの表現が立ち絵の身体に文脈を無視して現れるかのようでもあるのではないかと考えられるのです。

要するに、立ち絵がそのままキャラクターの性格やら何やらを表している(結果的に表すことになっている)みたいな話ですね。一番ベタな喩え方をすると、うつむいてる立ち絵が多い子は内向的な子だったりするんじゃね?、とか。それは勿論、『クドわふ』のようにあるキャラと別のあるキャラで対比的に用いられることもあるし、『星メモ』のように物語それ自体に絡んでくることもある。そしてまた、立ち絵の変化にもまた、同じようにキャラクターの表意機能がある。それが『ウィッチズガーデン』、つまりE-moteだとマジ凄いのです。やばい。革命じみてる。一言でいうとキャラクターが超可愛いのです。さっきから小並感まる出しですけど、実際そうなのだから仕方ない。立ち絵というのはキャラクターそのものの表現であり、それらの変化というのは色んな面の/あるいはより深く、より濃くの表現というわけですよ。その変化がこれだけ滑らかに動かされるのです。勿論キャラクターそれぞれに特徴を持たせて(たとえば涼乃さんは正面向いて頷くくらいの演出が一番多かったですよね、まさにお嬢様然とした! えくれあは初め動きはそう多くなかったけど、仲良くなってからはどんどん動くしどんどん頬染めるし! あやりは人懐っこさ満開の正面向いた立ち絵とか動き含めて最高でしたけど、「アレ」が判明した後の物語後半は正面向き立ち絵があまり使われなくなっていくのも良く出来ています。莉々子さんは神。論ずるに術がない。全てが神なので)。だから凄い。だからヤバイ。立ち絵が持つ「キャラクターそのものを表現する機能」というのを最強レベルに使いこなしている。故に死ぬほどキャラクターが可愛い。それが「E-mote」です。ぶっちゃけ、キャラクターが可愛いからというだけの理由でプレイできるレベル(テキストなども良いので、実際はそういうわけでもないのですが)。
立ち絵というのは、立ち絵の変化というのは、ここにこのキャラが居るよというのを描写したり、キャラクターの(そのときの)心情を伝えたりするためだけにあるのではなく、キャラクターそのものを表すための機能も持っている―――それの現時点における究極がこれです。「E-mote」。『ウィッチズガーデン』。普通の立ち絵演出に比べて、明らかに魅力的に、可愛く見える。それはすなわちキャラクターが可愛くて魅力的になるということです。いちいち文章にするのもアホらしいですが、立ち絵が可愛くて魅力的なら、その分だけそのキャラは可愛くて魅力的になる。「立ち絵がキャラクターそのものを表意している」というのは、つまり、可愛く・魅力的に立ち絵を描ければ、そのままキャラクターが可愛く・魅力的になるということです。勿論キャラクター個々人のパーソナリティもまた、他のゲームと同様に―――それ以上に表現していて(上にも書いたけど涼乃さんは静かに・おしとやかに動くからこそお嬢様然とした美しさがあって、正面向き立ち絵の凛とした姿を多用しているからこそ彼女の誠実さ・正々堂々としたところが伝わるのであって、あやりさんは斜め立ち絵の多用にネタバレになるアレなところが透けて見えたり、団長なんかは大きな動きがほぼ無いのが逆にどっしりした頼れるオッサンなところを表しているし、莉々子さんは神だしみたいな)、そういったところも素晴らしい。実際にプレイするまでは、ここまで凄いとは思ってもいませんでした(正直、Youtubeの紹介動画とか見ても正確なところは(一番大事なところは)全然伝わらないと思います。プレイするべき)。やっばいくらいキャラクターが可愛く魅力的で興味深く映る。前情報や、字面以上に効果的で、衝撃的でした。


あといくつか細かいことを言うと、「テキストとの軋轢」問題。要するにテキスト見ながら立ち絵見れないじゃんという話ですね。これについては単純に、「キャラクターが喋ってるときしか基本動きません」という方法で対処していました。キャラクターが喋ってるときは、音(音声)聞いていればテキストウインドウを見ずに立ち絵だけを見ていても大丈夫ですので、立ち絵が動く場面は基本そのような場合に行われていました。まあ普通の、主人公の台詞とかモノローグの時にも立ち絵が動く場合もあるのですが(割合にしたら100:1とか50:1くらいの、極たまにという感じですけど)。

用意されている立ち絵変化のパターンが限られてるという点も、実際にはそこまで大きな問題ではありませんでした。「演技」という意味合いでは、数パターンのリアクションを使い分けるだけというのは問題(効果的ではない)であるんですけど、一番機能を発揮しているのは「キャラクター表現」ですからね。キャラクターの特徴が、可愛さが、魅力が分かる仕草であるかどうかというのが最も肝要であり、だからパターンが限られているというのはマイナスではない。むしろ文脈から独立した立ち絵=キャラクターという観点からすればプラスであるかもしれないくらい。まあ告白シーンとかの重要な箇所に、固有のE-moteパターンとかあるともっと可愛かったかも、と思わなくもないのですが。まとめると、そんなに気にする必要は無いということです。

欠点としては、いわゆる一枚絵CGが(動的には)動かないということがどうしても気になってしまう点でしょうか。一般的なエロゲだと、立ち絵より一枚絵CGの方が豪華で凄いといった印象が強いですが、このゲームだと逆に近い感触を受ける場合がある。なんといっても今まで当たり前のように動いていたものが動かなくなるわけですからね(ちなみに、『ウィッチズガーデン』やった後に別のエロゲやると、最初は何か動かなくて物足りなねーと思ってしまいましたw)。今まで当たり前のように存在していた動くという「魔法」が、一枚絵になると急に切れてしまう。特にエロシーンがですね、動かなくて本当物足りないなと思ってしまいました。ああ、エロシーン、動いてさえくれれば! 良い暮らしをした後に並みの暮らしに戻るのは難しいと言いますが、このような良い動的演出の後だと、当たり前のように動かない絵にはどうしても不足感を覚えてしまいます。その辺が(ぶっちゃけ贅沢な)欠点でした。

最後に、「E-mote演出をこの作品でわざわざ使う理由を作品内に見出せる」という点が超好きで最高です。まあ牽強付会と言われたらぐうの音も出ないんですけどね、たとえば、「城壁をくぐり(ゲームを開始して)、他と隔絶された風城に(ゲームの世界という異世界に)、住人やアバターや女の子がいて(登場人物やヒロインがいて)、そこには他のどの都市にもない「魔法」がある(他のエロゲにはない「E-mote」という魔法がある)」みたいに、何故この作品にだけE-mote演出があるのかという必然性を見つけ出すことができる。まるでテーマパークのような都市で、魔法、別世界、そういうキーワードにことごとく当てはまる。たとえば去年、『妹選抜☆総選挙』という、Live2Dで今作と同じように立ち絵が動きまくるエロゲがあったんですけど、そこでは正直「おー立ち絵動く、すごいね」で終わってしまった。しかしそうではない。『ウィッチズガーデン』における立ち絵の動きは、作中の主人公がこの都市に来てはじめて「魔法」に出くわすように、現実の僕らがこのゲームにてはじめて出くわす「魔法」だ。魔女の庭だからこそ、普通の世界には(他のエロゲには)存在しない魔法が存在している。ああつまり、順序をひっくり返して書きますと、「なぜ『ウィッチズガーデン』に「E-mote」が”必要”なのか」。それは魔法だからだ。他と隔絶された独特な観光都市、この世でここにしかない、余所には存在しない、まるで別世界―――そんなものを、物語どうこう以前に、キャラクターなんたら以前に、ただ画面を見た瞬間に分かるレベルで実現しているのです。風城の、ウィッチズガーデンの、このゲームのこの世界の、別世界性を見た瞬間分かるレベルで現している。……ええともちろん実際にはそんな狙いなんてない可能性の方が高そうですし、てゆうかかなり牽強付会的ですが、しかしですね、こう読み取れることが最高なのです。つまり、実際にそうなのだったから。実際に僕らにとって別世界だったから。見た目だけでもう既に他のエロゲと比べて別世界だったから。だから、もうそれだけで、この作品に「E-mote」が実装されていた意味がある。そういうところも素晴らしかったです。