プレイヤーは二度死ぬ。一度目は『ラブラブル』、二度目は『同棲ラブラブル』で。

人が死んだ……死んでるんだぞ!?

同棲ラブラブル同棲ラブラブル
(2012/01/27)
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さてこのゲーム、一言でいうと「死体に鞭打つ」……いや、「死体になったみなさんをさらに殺す」と言うべきでしょうか。それ以上でも以下でも以外でも何でもありません。皆さんにとって常識のことだと存じますが、前作『ラブラブル』をプレイしたことにより、我われは死体に成り果てるわけです(http://d.hatena.ne.jp/tempel/20111128/1322496892)。それにこのような続編……続き……ファンディスクを加算することにより、さらに死体に蹴り入れてオーバーキルかますという事態が勃発してしまいました。さて、どうしましょう。てゆうか何なんでしょう。なんなんすかこれ? ふざけたエロゲーですね。もう意味わかんねーや。

高度に発達したイチャラブはプレイヤーを殺しますが、高度に発達したイチャラブのファンディスクにおいてもなお高度に発達したイチャラブが展開されるとプレイヤーは置いてけぼりというか埒外というか、存在の意味がなくなります。存在意義がありません。プレイヤーというものが存在している意味も価値もどこにもありません。ですのでプレイヤーなんて事実上は存在していないと言っても過言ではないでしょう。なので極端なこと言うとこの作品、プレイする意味がありません。完全に主人公である「彼」とヒロインの「彼女」のモノであって、プレイヤーが入り込む隙間なんてこれっぽちも無いんです。いやほんと何なんだろうなこれ。このゲームにおけるプレイヤーとは何か? 傍観者……観客……覗き見……いずれにせよ、少なくとも全く持ってプレイヤーが参入する余地がありません。ボクもはじめはいつも通り、作中の台詞を引用して物語を再認識してそこから考察っぽいのを書こう……とかプレイ開始当初は思ってたのですがそんなのヤメタ。超ヤメタ。プレイヤーが考察したり考える意味が無いんです。だって俺らと関係ない話なんだもん。主人公とヒロインさんがあっちで生きていって、完璧十全完全に生きていってて、だから私たちが関われる領域が存在しません。我われが物語などを解釈する余地が全く無い―――だって解釈する行為に意味がないんだもん! もう勝手にやってて! としか言えない。

これは勿論、出来が悪いからではなく、出来が良いからです。あまりにも完全に『ラブラブル』を貫き通してしまったが故にプレイヤーはお亡くなりになってしまった。だってそうです、イチャラブなんてものは現実にしろ物語にしろ「二人」で完結しているものであり、そこに第三者が介入できる余地は残されておりません。その流れで同棲や、そこから地続きに結婚が見えてくるのですから、余計に彼と彼女のクローズドなセカイが構築されます。そうそう、この作品の「同棲」、常に「その先」が射程に入ってるものとして描かれてまして、つまり、結婚、子供、そこでの生活、そういったものが具体的かつ夢のあるもの(楽しいもの)として射程に入ってる感バリバリの描写を為されておりまして(まあ「描写がそうだ」というより「この二人がそうだ」といった方が正しいのですが)、なんかもう余計にプレイヤーは「どうでもいいんじゃー!」って気分になりますね。喩えるなら、目の前で友達同士が俺の行けない旅行の計画を楽しげに語り合ってるような感じ。あるいはtwitterのタイムライン上で、フォロワーさん同士がオフの楽しい話をしててそこに微塵も絡んでいないし絡めない俺は死んだ。スイーツな感じ。そんなー、ボクはそこに参加できないのに、なんでそんな話を目の前でするんすかー! つまりプレイヤーは彼と彼女の埒外、ぼっちなわけです。しかも「楽しそうな」「イチャラブの」「同棲」「結婚」つまり「人生そのものが楽しい/人生を楽しむ」、それを現在進行形で行なっている&これから更にそうしようという彼と彼女、そこからプレイヤーは除外されてぼっちなわけです。ただただ目の前で見せ付けられるだけなわけなのです。プレイヤーが考察とか解釈とかしても虚しいだけなのです。よって死ぬ。プレイヤーは死ぬ。

しかし考えたら凄いですね。俺が金出して買ったゲームなのに、俺より作中人物の方が圧倒的に楽しんでるなんて。それを見せ付けてくるなんて。ある種「疎外」の究極的なカタチですよ。いやもうマジで、このゲームは圧倒的、そうあまりに圧倒的なのです。たとえば、エロシーンにおいてヒロインが謎のレイプ目アヘ顔(?)になるっていう、謎の現象があって(説明しがたいのでプレイして下さいとしか)、いや最初ボクの買ったロムだけミスか何かでそうなってるのかと疑って他の人の感想とか見て、ああみんなそうなんだ、普通なんだと改めて納得したくらい、これ結構意味不明だったんですけどね、しかしこれすらも、”我われプレイヤーの外側/我われプレイヤーが外側”と考えれば理解できる。つまり、あれに意味分かんねーよという感想抱いたり、あの表情で逆に抜けなくなったり、ヒロインにちょっと幻滅とかガッカリしちゃうのは、非常に「正しい」わけです。だってあの表情はプレイヤーを突き放していますから。あるいはプレイヤーを無視していると言える。彼に見られる表情は整えても、プレイヤーに見られる表情を整える義理も理由もこのゲームでは存在しないわけです、彼女たちには。そもそもこういうアヘ顔ってのは、こんだけすげー(快楽の)セックスだった、ということですから、それはそれで既にプレイヤーを疎外していると言えます。だって実際にセックスしてるのはプレイヤーじゃなく主人公のあの野郎ですからね。画面のこっちの僕らが勃起しようがオナニーしようが、多分確実に、主人公のあの野郎の方が感じてるし気持ちいい思いしてるし楽しんでるし快感を享受しているわけです。まあその構図自体は大抵のエロゲに当てはまるわけですが、本作はそれをレイプ目アヘ顔でプレイヤーにさらに強烈に見せ付けている。花穂さんとか菜々子さんが我われにこう言ってきているわけです。「こんな目になるほど彼とのセックス気持ち良かった」と。ここでいう「彼」とは主人公であって、プレイヤーではありません。プレイヤーではないのです。勿論、驚異的な集中力により人知を超えた感情移入能力を発揮して主人公は俺だ状態になりきれれば何とかなるかもしれませんが、しかしボクには、もう、この「目」をされた瞬間、ああ完全に終わったな、完全に死んだな、と確信するに至った次第でありまして。

それはそうと、話を戻しまして。同棲や結婚。ヒロインの中で花穂だけは兄妹なので結婚できないのですが、そんなもの関係ない楽しさが描かれまくってて我われはやっぱり死ぬわけです。そういえばこれ、「楽しい」を語れど「幸せ」はあんまり語らないところが素晴らしいですね。よく結婚とか後日談とかは「幸せになる」「幸せな生活」とか、そういう向きからアプローチしてくる作品なんかもありますけど、「幸せ」っていうのはあまりにも抽象的な上に人によって千差万別でして、しかも時価のように、今はあれが幸せだけど次の瞬間にそれは幸せじゃなくなるって感じに超流動的な存在でして、だから「幸せ」を語られてもあくまでそれはイメージになってしまうわけです(あるいは、一般論に逃げるか)。しかしこの作品では「幸せ」を語らないで「楽しい」を語る。「楽しい」も抽象的概念ですけど、しかし『同棲ラブラブル』の場合は話は簡単。かつての『ラブラブル』、またこの『同棲ラブラブル』の中で幾度となく「楽しい」を描いてきたから。彼が、彼女が楽しいと感じたとき、僕らが楽しいと感じたとき、そういうのがこのシリーズの中では星の数ほど存在している。同棲、さらにその先の結婚、そこで待っている「楽しさ」は、そういう意味で既に実証済みなわけです。今まで見てきたあれらの、さらに拡張された、拡大したものがこの先に待っている、と。だからねー、「幸せ」という抽象的な話、あるいは一般論的な話をされるより、既に具体的な『ラブラブル』における「楽しさ」を語られたほうがプレイヤーはよっぽどきつくて死ぬのです。
えーと、で、花穂の話。花穂だけ結婚できないのですけど、しかしだけどもやっぱりボクタチは死ぬわけです。そもそも、この同棲生活でより顕著になるのが、「兄で割り切って余りが殆ど出ない花穂」と「花穂で割り切って余りが殆ど出ない兄」という、より彼女たちを強固にする新事実でありました。要するに、花穂のゲーム好きは兄と少しでも話す機会を持つためとか、兄のこの性格は妹を少しでも楽にするためとか、そういった、「今の自分の多くは彼/彼女を始点として出来ている」という事実が明らかになったということ。彼は/彼女は、彼/彼女という「お互い」により構成されてまして、だから余計プレイヤーの居場所なんかなくなるわけです。そして結婚できないということ。えー、俗に「結婚は人生の墓場」と言いますが、それはつまり、結婚できない花穂との未来には人生の墓場なんてものは存在しないというわけであります。なので、ある意味不死身です。つまり彼と彼女はお墓のように地に足つけて(てゆうか埋まって)落ち着くことはないかもしれないけど、しかし永遠に続いていく恋愛を楽しみ続けることができる。ラブラブをずっと現在進行形――ラブラブることが出来る。よってプレイヤーは死ぬ。

なんだか今日はどの話しても最後に「プレイヤーが死ぬ」としか書いていませんがw、いやホントね、おかしいですこのゲーム。最初の一人目攻略したときに「あれ?」って思って、二人目で確信して、もう最後の方、四人目や五人目のときは完全に苦行でした。なにせプレイヤーの……ここに居る自分自身の「ラブラブルにおける」存在価値がゼロだってことを見せ付けてくるような作品ですから。クソゲーなのでプレイするのが苦行ってゲームは今までありましたけど、傑作なのでプレイするのが苦行ってゲームは初めてです。まあそれはそれでクセになるんですけどね!
今の楽しい生活と、この先の楽しいだろう/絶対楽しいものにする、という生活の未来視をバンバンと見せ付けてきてプレイヤーがあっさり死んでいく、そんな傑物。前作『ラブラブル』で個人的に死んだみなさん、この『同棲ラブラブル』で、プレイヤーの存在価値がない、プレイヤーの居場所がないという第二の死をしっかりと体験しましょう。