『エロゲー文化研究概論』感想(評価:星5つ)

エロゲー文化研究概論

エロゲー文化研究概論

  • 作者: 宮本直毅,エマ・パブリッシング
  • 出版社/メーカー: 総合科学出版
  • 発売日: 2013/01/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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読書しながら鳥肌が立ちっぱなしなんて経験はいつ以来だろう。もの凄く素晴らしかったです。「エロゲの歴史を語る」みたいなのはインターネット上でも幾つか読むことが出来ますが、さすが有料なだけあって本書の内容はそれらより何枚も遥かに上。まだざっとひととおり目を通した程度ですが、amazonで評価付けるなら間違いなく星5。ちょこっと感想を書いてみます。

一言でいうと、「エロゲー創成期から現在まで追った」のが本書の内容です。クリエイターへのインタビューも著名人の寄稿も一切なし。30年続くエロゲー史を約250ページに渡りただひたすら追求し続けた「ガチ」な一冊。
最初に、そもそもパソコン誕生以前から、野球拳だったり、お医者さんごっこだったりという「エロい遊び」という意味での非電源エロゲーは存在していたという話からはじまります(ちなみに日本最古のエロゲーは「野球拳」であり、エロゲ初期に一世を風靡した『ロリータ』のキャッチコピーは「お医者さんごっこ」だった)。正確には、「遊び+エロ」と、「エロ+遊び」がある。野球拳のようなエロがある遊びと、お医者さんごっこのようなそもそも遊びそのものがエロいものであるという非電源エロゲーがある。これが個人的には目からうろこでした。現在のエロゲーもそうで、アドベンチャーやノベルゲーム形式だからという理由だけで快楽があるのではなく、女の子との恋愛や凌辱があるからというだけの理由で快楽があるのでもなく、エロい遊びだから、あるいは遊びとエロがセットになっているからこそ快楽があるのではないでしょうか。ストーリー重視作品なら「物語とエロ」と言い換えられる。「むしろ麻枝准はエロに頼りすぎなのだ」*1という名言があるのですが、Keyのようなメーカーでもその「薄いエロ」がどれだけ物語に(何より、プレイヤーである自分に)とって意味があったか。最近、エロがない『Rewrite』をやってるのですがその辺を本当痛感します。

さて、インターネットでエロゲーの歴史的なものを調べると、1982年発売の光栄『ナイトライフ』が日本エロゲの元祖だという言説が多く見受けられますが、本書ではそうではなく、1981年発売のハドソン『野球拳』が元祖ではないかと綴られています。ただこれは正確な資料や博物館があるわけではなく(なにせもう30年も前、当時の製作者もユーザーも今では還暦迎えててもおかしくないほど昔なのだ)、つまり著者が知る限りであり、他に何かあれば教えてほしいとも併記されています。ちなみに海外では、1970年代後半には既にエロゲーが存在していたと語られています。そう、実は海外オリジナルのエロゲーというのも、昔からあるんですよね。この本は殆ど日本国内オンリーの内容でしたが、誰か海外エロゲーの歴史とかまとめてくれたりしませんかねー。買うよ。

その後も『団地妻の誘惑』『天使たちの午後』、パソコンショップ高知、アリスソフトカクテル・ソフト……当時のメインシーンを走っていた様々なタイトル・メーカーを取り上げながら文章は進んでいきます。これが凄い。いや自分がまったく知らない時代だからこそかもしれませんが、まさに博覧強記、エロゲの生き字引、エロゲマイスターといった感じです。もちろん有名な『SM調教師瞳』やハッカーインターナショナルといった「家庭用ゲーム機におけるエロゲー」にも触れている。てゆうか『桃鉄』における温泉お色気シーンを皮切りにしたファミコンゲーム(一般ゲーム)温泉等お色気シーンがあるタイトル一覧にはマジで度肝を抜かれました。この人なんでそんなことをこんなに知ってるの。正直著者の方に尊敬すら覚えるほど。
その後もPC-9801時代、PC-9821時代と話は進んでいきます。自分としては『リップスティックアドベンチャー』とか『はっちゃけあやよさん』あたりからようやく親近感を覚える話になってきました(プレイしたことはないですが)。『同級生』『同級生2』あたりからは知ってる時代という感じでしたね。ちなみに『同級生』は、元々はストーリーはもっと薄くて女の子とHするだけに近いモノになる予定だったのが、上げられてきた竹井正樹氏によるキャラクター絵を見た蛭田昌人氏がそれに惚れこみ、ヒロインたちを単にHするだけの存在にするのではなくもっと深いものにしたいというところから、現在我われが知る『同級生』の形が出来上がったようです。

ついでに本書に全然関係ない余談なんだけど書きたくなったから書いちゃうので次の段落まで飛ばしていただいて構わないのですけど、いわゆる「ナンパゲー」は徐々に勢力を弱くして00年代に入るとほとんど見かけなくなると思うのですけど、これは物語重視のゲームに追いやられたのではなく、現実でも「ナンパ」という行為が90年代後半からめっきり流行ではなくなったところにあると思うのです。行楽地とか観光地とかは別ですけど。代わりに若い男女の出会い・遊びは「合コン」にシフトしました。で、エロゲーも「合コンゲー」にシフトしたと思うんですよ。たとえば5人くらいの女の子がいて、名前と簡単なプロフィール・肩書きくらいは分かって、喋ってどういう子か知って、お互い気が合えばそれをきっかけに実際付き合っちゃったり、あるいはその場限りでセックスだけしたり、友達になるなんて場合もある。これが90年代後半から現在にかけてエロゲのよくあるフォーマット―――共通ルートでヒロインたちのことを知って、気に入ったらその子を追いかけるような選択肢を選んで/あるいはプレイヤーが選んだ選択肢を女の子が気に入ったら、それをきっかけに個別ルートに入って付き合う・抜きゲーだったらぱぱっとセックスする―――それとまったくと言っていいくらい同じ。つまりナンパゲーが廃れたのは現実において男女の遊びからナンパが廃れたから、そして現実において合コンが一大勢力を築くとともにエロゲーには合コンゲー(よくある共通ルートで女の子を知り、そして選んで、個別ルート)が覇権を握った、と考えられるのですがいかがでしょうか。ナンパ(ナンパゲー)から合コン(合コンゲー)への変化は何故起きたかというのは社会反映論とかやればいかにもそれっぽいのが仕上がりそうだけどやるまでもなくクソなのでやらない。

で、『エロゲー文化研究概論』の話に戻りますが、当時はどうだったか、社会情勢はなんだったか、といったことが折に触れて書かれているのですが、だからって社会反映論的なものを殆どしないのです。とゆうか、出来るんですよね。この書き方だと読者は勝手にすると思うのですが(連想しやすいように整理されている)、しかしそんなものに手は出さない、材料は用意したので後は読者が勝手にしろと言わんばかりに。こういうところもまた誠実さを感じさせて素晴らしいです。
そもそもとして、この本は、「主観を出来るだけ排除して書こうとしているんじゃないか」と思わせる感じがあります。いや勿論、主観がまったくないわけではないんですけど。たとえばボクがよく覚えているのは、90年代後半のエロゲ雑誌(なんだったかは忘れた……メガストアだったかな)のコラムコーナーにて主観バリバリでエロゲの歴史みたいなのが語られていて、そこではPC98シリーズからWINDOWSへの移行で「WINDOWSでは『闘神都市Ⅱ』と『To Heart』が出来るというので、みんなPC-9821から(PC98-NXではなく)WINDOWSに乗り換えた」みたいなことが書かれていまして、それが印象に残っていたのです。今考えると『闘神都市Ⅱ』はそもそもPC98でとっくに出て人気を博しまくってたので(『To Heart』は出なかったけれど)、そういった経緯がどこまで一般的なものだったのかはちょっと怪しい気もするのですけど。しかし少なくともこの人の周りではそうだったわけで、それは時代の空気を一部ながら表している。そういった「主観」、それは本当に良し悪しあるんですけど、その「主観」がこの本では非常に抑えられていたかなと。主観丸出しな箇所は、ちゃんと「主観」であることを表明する(あるいはそうと分かるように書く)ようにされていますし。つまりこれは、ある意味マジで歴史書なのです。エロゲーの歴史書。いずれはこれを凌駕するさらなるエロゲ歴史書を(何処かで誰かが)上梓してくれると期待しているのですが、それまでは本書がエロゲの歴史として最も参照されるものになるのではないだろうか。この内容、そして(こういった類の本が殆どないという)この現状からも。だからこそ、なるべく主観を排そうとしているこの作りは、個人的にとても良いと思いました。

上に書いた古い作品からはじまり、『Kanon』や『AIR』や『Phantom』や『CROSS†CHANNEL』、『俺たちに翼はない』『Fate/stay night』さらにはアニメから『魔法少女まどか☆マギカ』、地味目なところでは『うちの妹のばあい』『こいびとどうしですることぜんぶ』などなどなどなどなど(タイトルを羅列してるだけで日が暮れるので書ききれません)。30年以上に及ぶエロゲの歴史、その全て―――というわけにもいきませんが、その中でも有名な作品、知名度の高いクリエイター、大きな存在(だった)メーカー、隣接項としてのコンシューマ・アニメ・雑誌・小説。はては社会情勢からおたくという存在の変化。そういった「エロゲ」の歴史にまつわる様々なことを、記し並べ紹介し整理する。そんな一冊でした。


30年の歴史を誇るエロゲーですが、30年前のゲームを今プレイするのは困難です。てゆうか現代においてまだ気軽にプレイできるのはWIN98、少なくともWIN95までではないでしょうか。WINDOWS以前となると、プレイ環境を整えるのが難しいし、ソフトを手に入れるのも難しい。20年前の本を読めといわれてもプレミア付いてる本や希少本以外なら簡単に安値で入手し読むことが可能でしょうが、エロゲーの場合そうではありません。20年前のエロゲーをプレイするには、今でもちゃんと動く昔のPCを用意して、さらに今でもちゃんと動くソフトも用意して、といった手順を踏まなければならない*2。言うなれば、すべてがプレミア付きで希少みたいなものです。だからこそ、昔を知る人間は、現在の人間にその「昔」を語らなければならない。―――みたいなことが本書の中に書かれているのですが、この本自体がまさにそれを体現しておりました。僕たちは知らない。90年代を知らない。80年代を知らない。でも、知らない「それ」を、この本が教えてくれる。実際この本のコンセプトなのかもしれません、基本的には古ければ古いほど記述が多くて、2004年までの記述が本書の8割を占めています。もちろん2005年以降が無いというわけではありませんし、要点は抑えられていますが、しかしそれ以降に対する記述は明らかに少なくなっている。けれどそれは正しくもあるのです。この本を買う人はエロゲプレイヤーが多いと思いますが、だったら最近の話は聞かなくても分かるし、振り返るほど時間も経っていない。分からないという人も、あるいはエロゲ全然やらないという人も、インターネットで検索すればいいのです。80年代のことは語ってくれるサイト自体が殆どないけれど、ここ数年のことなら何処にでも情報が溢れている(溢れすぎてて逆に難しいという可能性はあると思いますが)。だいいち、ここ何年かだったら、人に話を聞くよりも、自分でプレイした方が早くて正確だ。80年代のタイトルと違って、ここ何年かのタイトルならば、プレイ環境を整えるのも、ソフトを手に入れるのも楽ちんなのだから。

*1:http://kaolu4s.sp.land.to/okiba/imaki.hp.infoseek.co.jp/r0210.shtml#3

*2:エミュでなんとかなる場合も多いですけど。