個人的2011年ベストエロゲ10選

今年はプレイ済みタイトルより積みゲーの方が多いくらいなので(ホワルバ2もグリザイアも未だやってない)、半年後くらいには言ってること変わってるかもしれませんが、一応今年のベストを。
基本ネタバレ無しですが、一部調子乗ってちょっとネタバレしています。ちょっとだけど。ちょっとだから。読んでもすぐ忘れれば大丈夫!

10.Worlds and World's end

worlds and world's end 初回版

ラストが素晴らしい。ネタバレになりますので詳細は避けますが、いやもうぶっちゃけさせていただきますと、このゲームで褒める所はラストと妹キャラくらいだけです。他は前作『id』と同じように、別ルートで既に知っている話や展開をぐだぐだとやられてダレるとか、そもそもの展開自体がなんか微妙だとか、そんな感じで、あんま評価高くありません。ただラストが素晴らしいんですよ。ラストを褒めてる人をあんまり見かけないので勝手に褒め倒しますが、例えば佐々木中氏が散々仰ってましたよね。「自分の終わりと世界の終わりを同一に”したい”ことの愚かしさ」。自分が生きてる今の時代は(人類の)黄金期なのだ、あるいは最悪の時なのだ、―――要するに、「自分が生きてる今の時代は特別であるのだ」、そう見ることは如何にも愚かしい。まさか「その時代を生きる自分は特別(かもしれない)」まで行き出したら、もう匙すら投げてしまわざるを得ない。もしも特別を欲するのなら、時代じゃなく自分自身を見つめればいい。「特別」なんて何処にでも転がっている。たとえば「100年に1度の○○」とか……その言葉は、確かに、今は「たまたま」100年に1度レベルの困難だから、頑張って耐えようとか、もうこんな大変なことは後100年くらい起きないはずなのだから、今だけ、歯を食いしばって頑張ろうとか、そういう意味合いとしては、ある程度効果も見込めるし、正しい。前向きとは言い切れないかもしれないけど、この言葉は確かに踏ん張るだけの僅かな――最後の力を与えてくれるかもしれない。しかし、勘違いされる方は殆どおられないと思いますが、前述の佐々木氏の件の指摘(むしろこんなことが指摘する必要があった(つまりそういう存在が居たらしい)という事実に逆に私などは驚いたのですが)を鑑みると居るかもしれない感があるので申し上げさせて頂きますと、そこには、何の「特別」もない。そもそも、数十年前には100年に1度の好景気があって、さらにその前には100年に1度の経済成長期があって、100年に1度の学生運動があって、100年に1度の大戦争があって、100年に1度の技術革新が各業界で為されてきて……つまり、見方によっては、100年に1度の○○などバーゲンセールなのです。だから出来事において時代の特別さなどはまったく存在しないといって間違いはない。それこそ、百年先・千年先の時代では、今の時代の大事件が日常レベルの事件になっている可能性すらあるわけで、つまりそういった相対的な視点における特別さなどというものは、まったくもってその特別性を失っている可能性も充分あるわけです。…………ええと、そろそろ話を戻しましょう。だからつまりですね、「たとえ世界が終わるとしても、それは特別ですらないのです」。今の時代に世界が終わるとしよう。しかしそんなことは(それですらも)「特別」ではないのです。敢えてそれを特別と云うならば、そんなことは私たちの実感として存在するような、もっとありふれたレベルの World end と同位の特別さであって、そうでしかなくて、だからこのラストはそういう風に作られている。

9.穢翼のユースティア

穢翼のユースティア 初回版

面白かったです(おわり)


いや実際ネタバレなしだと何書いていいのやら。そうですね、どうしてヒロイン5人それぞれの出自や境遇が異なるのかというと、生まれてきた意味というものは生まれてきたところには無いからです。今いるところにも無いからです(というのが、本作の思想です(と個人的に思う))。出自にも無くて境遇にも無い。では何処に在るのか。そういうお話になります、なんてことも言えなくもないでしょう。……っていうかネタバレ無しだとなんかこれ以上書けないのでおわり。

8.すきま桜とうその都会

すきま桜とうその都会 初回版

「すきま」に在る、居心地の良い、嘘つきたちの幻想郷。なんといってもこの居心地の良さが長所で、それはつまりキャラクターの良さとテキストの良さを意味しています。だらだらと共通ルート続けてるだけで心地良い楽しさが得られる、というなかなかに貴重なタイトル。

7.猫撫ディストーション

猫撫ディストーション

式子さんシナリオが人外魔境で柚シナリオが人間の魔境。元長氏の作品をほぼ触ったことないので、他タイトルがどうなのかは存じませんが、少なくとも、この作品は唯一無二の作品であるということは理解できました。

6.your dairy

your diary 初回版

魔法のようなエロゲ。共通ルート限定の話ですが、喩えるならば、『さくらむすび』から、トノイケの持つ毒(寒い朝お布団から出たくても強制的に暖かい布団に閉じ込めて出させてくれないような優しさ)を抜いて、代わりにたぶんまっとうであろうモノを詰め込んだら、キャラクターに歪みが出まくってしまった(鈍感なフリを”させられる”……たとえ気づいても”気づかせてもらえない”主人公とか、行動だけは”させてもらえない”ヒロインとか)。その軋みの音がめちゃくちゃ素晴らしいです。虚心坦懐にお前らもう付き合っちゃえよと言えるところはトノイケとは全く異なりますが(トノイケはなんか怖くてそんなこと言えない)、しかしにも関わらず付き合えないというその歪みが(ああだって、彼と彼女が付き合わない理由が、「共通ルートだから」という制度的問題以外に何か思い当たるかい?)、その歪みが映し出すこの景色が、なんとも言えず素晴らしいのです。
……しかしこの楽しみ方なんかアレかなって気がするのでもう少し他のことも書いておくと、まず最速で(最初の登場シーンで)ヒロインの子の良い所・好きになれそうな所を提示するところなど上手く作られています。速攻で取っ掛かりが出来る。しかも人によっては速攻でヒロインのことが好きになれるので、その後のゲームプレイが普通に楽しくなります。それぞれの個別シナリオもいい感じですが、なんといっても沙雪さんシナリオですね。いわゆる「めんどくさい女」という言葉がありますが、端的に言うとソレです。彼女だけ付き合うまで異常なほどお膳立てやみんなの力を必要とするのですが、それは要するにそんだけ沙雪さんがめんどくさいってことです。ある意味、逆説的に証明しているわけです。あれだけのことをやらないと付き合えはしない―――物語上の要請としてそうなったのではなく、沙雪という存在の要請としてそうなったのです。……という結論が、(まああまりに理論的ではないのですが、しかしそれでも)最も正しいのではないでしょうか。その後も「逆にすごい」と敬意を示したくなるほどに、めんどくささ=ウザさ=ある種のワガママを発揮しますしね。たとえば献身的な姿勢というのも、行き過ぎればある種のワガママなのです。智希のために夕陽の味をマスターしようとする沙雪に対し、そのままでいいよと智希は告げるに関わらず、それでも尚、夕陽の味をマスターしようとする沙雪というのは、たしかに献身的なのですが、しかし献身が行き過ぎてしまって、見方によってはある種ワガママでもある(ここでは最早智希に尽くすという行為が、智希の意思と関係なくなってしまっている)。まあそんな感じで、沙雪さんが特にすげーのですが、他のお話も、お話以外の部分も、全体的に良い内容でした。

5.春季限定ポコ・ア・ポコ

春季限定ポコ・ア・ポコ

各所で言われておりますが、妹キャラが最高! 妹キャラ・オブザイヤーどころか、妹キャラ・オブザオールタイム級の、なんかすっげー素晴らしさです。「このゲームにしかこの子がいない」というだけの理由で、一生手放せない作品になりえるレベル。あと、最後のシナリオの、ラスト数十クリックが非常に素晴らしかったです。人生はポコ・ア・ポコ……ちょっとずつ、けれど確実に進んでいく。それは「ちょっとずつ」しか進めないということも同時に意味している(作中の彼方なんかはまさにそう!)のだけど、翻せば、そう、”進んでいる”のだ。少しずつ、しかし確実に。

4.愛しい対象の護り方

愛しい対象の護り方

失礼を承知で言うと、AXLのゲームというのは基本的に「共通ルートは楽しい」「個別ルートのシリアスはつまらん」というものであった。これはライターが北川氏にしろ長谷川氏にしろ殆ど同じある。前作『かしましコミュニケーション』などは、個別ルートには別段なんの感動もないのに、むしろ共通ルートでほろりと涙ぐむんでしまったほどだ。そしてそれこそが、AXLを象徴していると言えるだろう。「共通ルートでみんなとワイワイやってる方が楽しい」「共通ルートでみんな絡んだ話の方が(ヒロイン一人だけに注力した話より)むしろ泣ける」「個別ルートは共通ルートのおまけ」…エトセトラ。そういったところが、AXLゲーの長所であり短所であった。
さて、本作『愛しい対象の護り方』は、端的に言うと、それら諸問題に対する最も優れた対処を見せたと言えるだろう。つまり、長所を伸ばし、短所を減らしたということ―――つまり、共通ルート的な空間を拡張して、シリアスを出来る限り排除したということだ。重ね重ね、失礼を承知で申し上げますが、「シリアスがつまんないんだからシリアスをやらない(力を入れない)」というこの戦法は最高の解法ではないだろうか。シリアスを排除する……というより、シリアスから逃れようとし続けるのだ。例えば、夜の山中にていきなり銃撃音が聞こえ、侵入者がいることが分かり、すわバトルかシリアスかと思いきや、相手はただの素人で速攻で解決したり、研究課の争奪戦を阻止するために直接乗り込んで、すわシリアス展開になるのかと思いきや、数クリックであっさり解決したり……要するに、シリアスになりそうなところでも、なんとかその「シリアス性」から逃れようとしている(かのようなのである)。パワードスーツが猫みたいな可愛い着ぐるみであることも、そういったシリアスからの逃走を意味している。最新技術の粋を尽くしたパワードスーツ同士のハイパーバトル、になりえるものが、「ネコとネコが戦う」という絵柄のお陰で、そうはなりえない、つまりシリアスがデコンストラクションされている。シリアスの皮を被った○○ではなく、個別ルートなので形式上シリアスっぽくしてみましたよという共通ルート……エロゲではしばしば「日常」と称されるソレ……と、まったく変わらないアトモスフィアを纏ったままでいられるのだ。そう、このゲームをシリアスの観点から見ては決して評価は高くならないだろう。シリアスと考えてはいけない、シリアスだと認識しては十全楽しめないのだ。「シリアス」としてみると「なんだこれ」という感想しか抱けないだろう。とはいえ、ギャグとしてみると弱すぎる。つまりこれは、シリアスでもギャグでもない、勿論その中間項でもない、まったく新しい何か。
とはいえ、徹底的にシリアスから逃れ続けられているわけではなく、しばしばシリアスっぽさが強くなりすぎる場面などあったりして、その辺は―――もしこのシリアス排除・逃走が”意図的なもの”だとするならば、次回作でその辺の舵取りをどうするのかを非常に注目したいところです。
あと本作はオープニング(の歌)が素晴らしいです。作品を端的に表している……というより、作品に対する精緻な批評として機能しているようなオープニングソング。たまーにありますね。『PrincessBride(Braveもだけど)』のOP・ED、『さくらシュトラッセ』のED、そして『SEVEN-BRIDGE』のEDなどが個人的にはそうですが、歌が作品内容を”素晴らしく”表現していて、その歌のお陰で作品の点数がプラス10点くらいされちゃうような楽曲。この作品もそれに当てはまります。
たとえば共通ルート終盤にあるサバイバル訓練のラストの試練が、ある種象徴的ですが。頑張って諦めないで協力して試練を乗り越えて、しかし最後にどうしようもない「穴」に出くわすわけです。どう考えても越えることの出来ない大きな「穴」が、道に空いている。どの方法を使っても越えられない―――先に進めない。しかしその穴、よくよく見ると、別の角度から見ると、「穴」じゃなくて「絵」だったのです。いわゆる騙し絵、トリックアート。
つまり。カンデコの言うとおり。努力して根性で諦めずに進んでいく。そうやって問題を乗り越えてく。しかし、その先に大きな「穴」が―――越えられないような大きな穴・大きな問題があるかもしれない。でもそれだって、絶対に越えられない訳ではない。もしかしたら、見方を変えたら、見る角度を変えたら、穴じゃなくてただの絵かもしれない。角度を変えれば問題も問題ですらなくなるかもしれない。シリアスだってそうで、角度を変えればシリアスじゃなくなる……シリアスである必要すらない。日常の、共通ルートの、普段の、自分たちの延長線上で居続けられるかもしれない。そういった「強さ」です。もちろんその根本にあるのは努力・根性、諦めないこと、頑張ること。そうだからここまでこれて、そうだからこの先も進めていける。そんな力強い意思を軽々と纏ったこの作品は、そう、恐らく、AXL最高傑作と呼んでも差し支えないでしょう。

3.恋愛0キロメートル

恋愛0キロメートル 初回版

前作に引き続き「笑えるエロゲ」として質の高さを見せ付けております。笑い以外の部分に関しては、しょーじき前作の方が断然良かったかと思うのですが、しかし本作も悪くはない。注目は咲耶さん。各所で酷すぎると絶賛されていますが(=あまりに酷くて最早褒め称えたくなる系)、この人は本当ヤバイです。特に「川」で行なわれる某イベントが、ネタバレになるので詳細は省きますが、まあ凄いです。ゼロ地点を通過しようという手続き的所作かと思えば、実はまったくの詐術。奇跡への賭けと読んでみても、この人ひとりだけ安全圏で佇んでいるというなんともひでえ所業。要するに、この人マジで最低で最高なのです。

2.天使の羽根を踏まないでっ

天使の羽根を踏まないでっ 初回版

ボクは女装主人公モノ大好きなのでその分の補正があるのかもしれませんが、しかし傑作と―――いや大傑作と申し上げることができるでしょう。実は根本的なところは朱門優の前作『きっ澄み』となんら変わるところはないのですが、設定が変わっただけで全てが上手く回り始めたという好例です。男主人公だったらハナについてしまうような自己犠牲や純真さも、女装主人公ならいわゆる萌えポイントのように好印象与えられますし(――そもそも女装少年というのは幻想種なのだから、幻想みたいなキャラクターが許される……もとい、それこそが最も効果的かつ最適なのだ)、随所にある、いうなれば少女マンガ的ハッタリ――いささか暫定的な語句&弁別法ですが、たとえば広がりと可能性こそを示唆する少年マンガ的ハッタリではなく、自身の世界が自身に直結する中二(厨二)的ハッタリでもなく、自分自身ではなく自分自身の周辺にこそ自分の世界が結ばれる(直結される)少女マンガ的ハッタリ……と、ここでは暫定的に区分けしてみる(もちろん、語句や要素の選別そのものが(ステレオタイプなのを承知の上で)そういう雰囲気を帯びている、というのもある。エロゲで喩えるなら『Noel』とかが近いかもしれません)――当たり前ですが現実の少女マンガとは関係ない言葉ですが、とにかくそういった色合いを醸しだすハッタリが、この設定だと抜群に生きています。つまり、「きっ澄みイマイチだったなー」という人にもオススメできる隙が無い傑作ということです。もしも物語が優しいものなら、もっと、もっと、聞かせて――

1.ラブラブル

ラブラブル~Lover Able~

いちゃラブゲーの極地―――なんて惹句じゃこのバケモノを表現するには甘すぎる!
一言で申し上げますと「死にます」。高度に発達したエロゲー(いちゃラブ)は観測者(プレイヤー)を殺してしまうのです。まあプレイした人全員が死ぬわけではないのですが、ある一定数の人間は確実に死んで、そしてボクはその一定数側の人間なので確実に死にました。や、このように未だ死んではいないので、死にぞこないなのですが。誰か殺したいほど憎い相手がいるという人は、早まらず、その相手にこの『ラブラブル』を送りつけてやりましょう。もしかしたら相手が死ぬ。
単にいちゃいちゃするだけではなく、テキストも充分に面白く、全ての要素にフォローを入れて、最早欠点も死角も皆無。こんなバケモノのようなエロゲ、久々にプレイさせて頂きました。感謝。