「SuGirly Wish」のおはなし

ぶっちゃけますと、ほぼ同期である『Strawberry Nauts』(以下『苺』)よりこちらの方が断然良いです。なによりテキストやキャラが良い! ……というのは、それって要は個人的な好みじゃんという話に終始してしまいますので、まずはシステム面においてその『苺』と天秤にかけてみましょう。
さて、HOOKの11年秋の新作である、『Sugirly Wish』(以下『シュガーリー』)と『Strawberry Nauts』は、新システムを取り入れていることを明示的に・そして大々的に記しています。ある意味、売り文句や特徴ですね。『苺』においては「PITシステム」という、あまり他に例を見ないシステムを取り入れています。作品内において携帯端末を用いるシステムで、一応メールとかもあるのですが、メインになるのは、いわゆる「掲示板・BBS」のことです(「PITシステム」とだけ言った場合、そちらのことを指します(これは僕に限らずでして、自分の知る限りではおそらく殆どの人がそういう使い方をしていると思いますが))。これは現実のネット上にある掲示板と似たようなもので、スレッドがあって、そこに利用者の誰かが色々と書き込んでいくというものになっています。ただし閲覧できるスレッドは事実上一つだけで、そしてプレイヤーが(ならびに主人公が)そこに何かを書き込むことはできない。つまりROM専ですね。そして閲覧できるスレッドというのも、主人公である「ぽっぽスレ・ぽっぽヲチスレ」と思わしきもの一択である*1
そう、つまり、「主人公のヲチスレを見ることが出来る」という、なんとも屈折したシステムなのです。「ぽっぽの奴が女の子とイチャイチャしてる」「うぜえ爆発しろ」みたいなことが書かれていて、それを見ることが出来る。しかも…………いや、しかしというべきでしょうか、プレイヤーがPITシステムによってスレを見ても、必ずしも主人公であるぽっぽ自身もスレを見ている(=プレイヤーが見ているものは主人公も見ている)というわけではありません。てゆうか基本的に主人公はスレを見ていません。物語の流れの中でスレを見るときもありますが、それを除けばほぼ全く見てない(実際そのときに、彼は「普段スレ見てない」と述べている)。つまり主人公のあずかり知らぬ主人公ヲチスレを、主人公が見れずにプレイヤーだけが見ている。これが、このシステムが持つ屈折さをさらに増幅しているわけです。
…………と、このままだと『苺』の話ばっかりになってしまうので、詳しいことはいずれ書くかもしれない『Strawberry Nauts』の感想に回すとして、このPITシステムには一つ大きな欠点があります。それは、大々的に「システムにしてしまった」ということ。つまり、基本的にスレにはいつも誰かが何かを書き込むわけです。特に何もない日常の一場面でも、体育祭とかの大きなイベント時にも、ヒロインと仲良くなっていく過程においても、ちょっといちゃついてるときとかも、物語が大きく回りだしたときなんかにも、PITシステムは元気に正常稼動している。そしてたとえば、ヒロインと何かやって、だんだん距離が近づいてきてるなーってときにも、「PITに書き込みがありました」表示が画面に出てきて、何書かれてるんだろうと気になってついついチェックしてしまう。この行為が物語のテンポを大きく阻害し、そして主人公への没入感・一体感を大きく疎外する。もちろん、PITの書き込みを気にしないで見なきゃいいんですけど、そしたらそしたで、『苺』の魅力が大きく削がれてしまいます。PITを気にしたらテンポが悪くなるし主人公への同一化みたいなのが殺されることになるんだけど、PIT気にしなかったらただの萌えゲーで魅力なくなる……という二律背反がここにある。これはPITが「システム」であるからこそ、でもあります。たとえば「ある一定条件下において掲示板が閲覧できる(擬似的に掲示板を閲覧しているようになる)」という作品はいくつかあります。有名なところだと『Steins;Gate』とかそうですね。パッと思いつくところだと『るい智』『コミュ』とか、『俺つば』なんかもそうでしたっけ(あれは普通にテキスト化されちゃってましたっけ)。これらも掲示板を閲覧できますが、それはある特定の場面においてのみ、です。ある特定の場面において、ある特定のスレッドの、ある特定のレス群のみを閲覧することが出来る。ここにおいては前述した『苺』における欠点のようなものが生じる可能性がないわけです。掲示板は常にあるのではなく「ごく稀に」しかなく、しかも内容も物語に関わることであり、だからテンポを害することも同一化を阻止することも起こりえない。対して『苺』は、そういうシステムだからこそ、掲示板という出来事を常態化することになり、それによってテンポや同一化に悪影響を与えている。ちなみに掲示板のログというのは、作中で日付が変わると、場合によってはシーンが変わるだけで、全部流れてしまいます。しかも日付が変わるタイミングやシーンが変わるタイミングに合図があるわけではなく、読み進めているといきなり変わってたりする。そこが欠点に輪をかけちゃってます。つまり、「テンポ悪くなるから後で見よう」とか思ってると、いつの間にかシーンや日付が変わっててログが消えたりしちゃうのです。だから、掲示板読みたければ、テンポを犠牲にしてでも読まなければならない。
つまりは「良し悪し」ですね。そういうシステムだからそういうもの(ここでは「掲示板」)が常にある。一部の重大イベントやエロシーンではさすがに無いですけど(むしろあったら超面白いとも思いますが)、それ以外の殆どすべてにおいてPIT掲示板への書き込みがある。そしてそれは、リアルタイムに近い頻度で見なければ見落とす羽目になる可能性が高い。―――そういった、掲示板が常態化しているということ、それによるプラスも当然あるんですけど、それによるマイナスも当然あって、『苺』においてそれはどちらも看過できないレベルにあると言える。

では『Sugirly Wish』の方のシステムの話に移りましょう。こちらには『GIRLY TALKING』と冠されて、パッケージとかにもしっかりと書かれているシステムがある。……のですが、ぶっちゃけこれには「エーナニイッテンノ」的な反応を持った方も結構いらっしゃるのではないでしょうか。この『GIRLY TALKING』、その実体は要するに「ヒロイン視点からの(彼女の内面)描写」です。普段は主人公視点で物語が進むのに、途中にヒロイン視点で、彼女が思ってることが語られたり、彼女が友人としている会話なんかを(彼女の視点を通して)聞いたりできる。
「……ええと、それって普通のことじゃね?」と思った方はどう考えても正解です。「ヒロイン視点から何か語られる」、そんなゲームは腐るほどあります。そんな場面は売るほど見てきました。いちいち『GIRLY TALKING』とか名前付けて、新システムみたいに謳って、どういうこと? それ別に普通じゃね? という疑問は超ごもっともであり、そして超正解です。なんら新しいことが為されているわけではない。なんかFキー押すとイメージが出てくるみたいな機能がありましてそれが唯一新しいことと言えるかもしれませんが、その内容はやっつけで作ったんじゃねえかと疑いたくなるくらい超どうでもいい事柄でした。つまり何も新しくはない、よくあるヒロイン視点、それが『GIRLY TALKING』。
ただ、それを「システム化した」というのはおそらく新しいです。システムであると謳った。システムであると大々的に明示した。そうするとどうなるか。「システムだ」と言っているのだから、システムとして組み込まなければなりません。つまり好き勝手に「ヒロイン視点」を使いたいときは使って使いたくないときは使わない、なんて運用法は許されなくなる。PITシステムと同じです。システムなのだから、常に存在しているか、あるいは、ある法則性・規則性に基づいて存在しなければならない(そしてそうではないときは存在できない)ようになった。『苺』においては前者、掲示板を「システムだ」と謳ったからこそ、それを常に用いらなければならなくなった。『シュガーリー』においては後者。よくあるヒロイン視点を「システムだ」と謳った以上、それをシステム的に運用せねばならなくなり、そしてここにおいては「常に」存在するのではなく、ある一定のタイミングにおいて、さらにある一定の形式においてのみ、存在するようになった。
これが『GIRLY TALKING』の良い所であり……同時に悪いところでもあります。「ヒロイン視点から何か語られる(描写される)」といえば、たとえばサイトウケンジ氏の作品なんかがその代表例として挙げられるでしょう。その利点は、彼女が主人公に惹かれたり主人公を好きになったりする理由・必然性というブラックボックスを解き明かすというところにあり、それによりこの先の主人公と彼女とのお話の魅力が増すというところにある(あと氏の場合はよく言われている「主人公マンセー」を真に正しい意味で正当化する効果もある)。欠点はそのわざとらしさであり、実はヒロイン視点というのは、正しくはヒロイン視点ではないのです。「プレイヤーの欲望を通したヒロイン視点(あるいは物語の要求に則ったヒロイン視点)」と称した方が正確である。ヒロイン視点だなどと言いながら、語られるのは常に「主人公のこと」「プレイヤーが聞きたいだろうこと」「物語的に必要なこと」であるのがその証左と言えるでしょう。ここで突然ですが文芸とか映画批評の話をしましょう。「視点」というのはその言葉のとおり、「(彼が)見ている」というもの、つまり見ているものの主体を表します。これは必ずしも、その物語の語り手や主観となる人物と一致するとは限りませんよね。描かれるのはAさんが見ているものなのだけど、地の文の語り手はAさんではなくBさんである、といった小説や、Aさんの視点から見たものが描かれてるけど、それを認識しているのはBさんだ、という映画がある。これらにおいては、「視点」と、従来「視点」と一緒くたにしていた語り手・主観的人物とが同一とは決して限らなくなります。特に映画においてはそうですね。彼の物語で彼から語られるんだけど、カメラは引いたアングルもあれば空撮もあればVFXもあって、つまりスクリーンに映し出された映像はとても彼の「視点」とは言えない。この辺の厳密な区分けとして、一般に「焦点化(焦点化人物)」なる言葉を用います。「視点」は、見ている人・モノ。その映像の目となっている対象。映画の場合は「眼視化」という言葉もありますね。「焦点化」は、地の文の対象、そこで主観となっている対象。「彼の主観である」、そんなオハナシにおける「彼」こそが、焦点化人物であるわけです。見ている人(視点)と、そこにおける主観である人(焦点)は必ずしも同一とは限らないから、分離されたわけです。―――さて話を戻しますよ。サイトウケンジ氏のヒロイン視点には、ここに捻れがある。「ヒロイン視点」、つまり彼女の視点なのだけど、そこで語られていることは、決して彼女が自由に語りたいことから語ることを選び取って語ったものではなく、明らかに主人公やらプレイヤーやら物語やらから要求されたようなモノであるわけです。ならばこれは、彼女の視点から語られているけど、結局は主人公が焦点化人物のままなのではないだろうか? 彼女の視点において彼女が自由に語っていいのならば、好きな食べ物の話でもファッションの話でも男性アイドルの話でも良いわけなのに、「ヒロイン視点」で語られる話は、なぜか決まって「主人公の話」「プレイヤーが聞きたいことの話」「物語に関係ある話」ばかりなのだ。主人公は好きな食べ物でもテレビゲームでも気になる女性アイドルでもなんでも自由に語れるというのに。ここにおいては焦点に纏わる格差がある。つまり、視点は自由にヒロインへと移動しながらも、焦点化(言うなれば「主観」)は、主人公のままなのだ。あるいはプレイヤーである、物語である、といった場合もあるだろう。この辺が従来のヒロイン視点の欠点、あまりにもみえみえの「わざとらしさ」である。ヒロインの視点ですよ、ヒロインが語ってますよ、と見せかけながら、その実は異なる。その実は主人公の・プレイヤーの・物語の要望にお応えするものであった。だからこそわざとらしいと思うわけです。わざとヒロインの主観を装っている、と*2

で、『シュガーリー』の『GIRLY TALKING』においては、一応システム化されてるので、そのみえみえのわざとらしさは”システム的に緩和”されてはいます(内容的には緩和されてないけど)。そこがシステム化の一つのプラスですね。要するに、「システムと銘打ってるんだから絶対入れなくちゃいけない」わけであって、だからヒロイン視点が用いられことが正当化されている。主人公を求めるから・プライヤーが求めるから・物語が求めるから、彼女の視点が存在するわけではない。そういうシステムだから=そういう世界の決まりだからこそ、ヒロイン視点というものが存在している。その大前提によって、ヒロイン視点の欠点の一つが解消されています。さらに「(そういうシステムだからヒロイン視点を)絶対に入れなきゃいけない」のだから(入れなかったら詐欺だ)、何度も・何回も出てきてもなんら不自然ではない。ヒロイン視点が多用されることが当たり前であり、正当化されてる。そしてこれは逆に欠点も自ら開陳しています。そういうシステムである以上、ヒロイン視点を絶対に入れなきゃいけないのだから、……つまりそれは、どんなにつまらなかったり、あまり意味があるものに思えなくても、ヒロイン視点を入れなくてはならない、ということです。そういった欠点。
これら具体的には各シナリオに(正しくは各ヒロインに)依存していて、そして必ずしもそうとは限りませんが、しかし単純化すると、このヒロイン視点―――『GIRLY TALKING』を有効に使えたシナリオが面白く、そうでなかったシナリオはびみょーみたいなことは言えるかもしれません。。。(なにせ有効じゃなくても、つまんなくても、絶対ヒロイン視点は出てくるわけですからね)
ただそういう観点からすると、サイトウケンジ氏あたりのヒロイン視点とは明らかに別物であるということも考えられます。いや、やってる中身にそう大差はないと思うのですが、システム化されているか・されていないかの違いですね。『シュガーリー』におけるヒロイン視点は「ギャップ」的な面が強く出ている箇所でこそ有効に働いていて、つまり表じゃ(主人公の前だと)こういう態度でこう言ってるのに、裏じゃ(一人になると)こんな態度でこんなこと言ってる、みたいなギャップ。これがよく表れていたのが杏奈・朱音・胡桃であって。実際シナリオ的にも高評価を得ているみたいですね。対して愛は、感情的にはそういったギャップの部分はなく、『GIRLY TALKING』は主人公との行き違いに関する演出や盛り上げに近い感じに扱われていて(つまり物語上のギャップ(演出)といえる)、さらにひなに関しては、いやぶっちゃけ全然機能していませんでした。そもそも何でも喋る子なので今さら彼女視点にしても新たに知ることねーや、という。これはキャラクター造形が世界(システム)を殺したという端緒な例であり、『GIRLY TALKING』システム的に見ると上手く行っていないと言えるかもしれませんが、ひなの方から見ると、「ひなは『GIRLY TALKING』システムすら殺すほどのキャラクタであった」と言うことが可能である、つまり、システムを凌駕するほどの造形であったということです。


ではそろそろシナリオの話をいたしましょう、ということで以下ネタバレです。




まず個人的にはびみょーだったひなシナリオの話。てゆうかこの子に関しては上にも記したように『GIRLY TALKING』システムがぶっ壊れています。いや正しくは、ひなという個性/個体によりぶっ壊されていると申し上げるべきか。既にして全部語られてるので、ヒロイン視点にしたところで新たに語られるべきことが何も無い。ということで僕がここで語ることも何も無い。だってこの子自身が全部語っているのだもの。特に愛シナリオにおいて(他人のシナリオにも関わらず)圧倒的に語っています。てゆうか別キャラのシナリオで大事なところ明らかにしまくっちゃうヒロインってもしかすると前代未聞じゃ……。しょーじき最初はこの子が自分の中では一番人気だったのです。「ひながひなでいるために」お兄ちゃんラブとか、「お兄ちゃんの妹の白咲ひなです」という順番が倒壊した自己紹介が本当に実直だったところとか。けど、先に愛シナリオやったら(ネタが割れたというか底が見えてしまったので)どうでもよくなってしまったw そのくらい、他人のシナリオなのに色々曝け出しちゃう子。


ではお次、愛シナリオ。これはちょっと凄いです。話が全然進まず、二人の仲が全然進展しないのですが、それが圧倒的正しさを持っている。「進展のしようがないから延々進展しないのです」と真面目な顔で言える。そう、この状況に、この性格とこの関係のこの二人では、どう足掻いても進展のしようがないのです。だから進展しない(そしてだから、進展は外部要因が鍵になっている(つうかそれ以外可能性が無い))。それはおかしくない―――むしろそれは正しい。だから延々同じ様なことを繰り返す……繰り返されざるを得ない。
他のシナリオではだいたい第5話〜第7話くらいには恋人関係になるのですが、愛シナリオではなんと16話までかかってしまいます。そもそも主人公が気持ちに気づくまでに15話かかってるのですが。これは、ここまで物語を引っ張ったのではなく、ここまで物語が引っ張られたと書いた方が正しい。尺を伸ばしたり時間稼ぎのために、付き合うまで16話もかかるほど物語を引っ張ったのでは断じて無く、この二人、こいつらに、こいつらの関係性に、こいつらの距離感に、こいつらの性格に、物語の方が(尺の方が)引っ張られたと言うべきなのである。進展のしようがない彼らの「所為で」、ここまで物語が引っ張られてしまった。
ある意味、物語の尺ブレイカーです。利点としてはキャラクターの良さが満遍なく発揮されるんですけど、欠点としてはエンターテイメントが死亡するというところでしょうか。実はエロゲというのは、その制度的に先行きが”気にならない”ものでもあります。これがXP以前くらいの時代なら話は別だし、現代でもoverflowとかあるいはnitro+なんかだと話は別かもしれませんが、本作のような普通の萌えゲー、特にHOOKのように信頼できるメーカー(たとえばヒロインが死んじゃってかつ生き返らないとか、超展開と言われるレベルの奇を衒ったことをしてこないだろうと信頼されるメーカー)だと余計にそうである。個別ルートに入ると、少なくとも、その子と恋人になってHしてその子のエンディングを迎える、ということがほぼ確実に保証される。個別ルートに入って、バッドエンドに行き着く選択肢を選ばなければ、ほとんど絶対そうなるということがほぼ確実に保証されています。いわゆる「萌えゲー」なんかは本当に「確実」と言っていいレベルですね。だからこそ、ある意味では”先行きが気にならない”のです。どんだけすれ違ってようが行き違ってようが、三角関係だろうが喧嘩してようが、その子のルートであるならばほぼ確実にその子と結ばれる。必ずや幸せになるとは限らないし、もしかしたらその子が死んじゃう可能性もありますが、少なくとも結ばれるまでは死んじゃったりすることは起こらないのです。―――だから、どんな展開だろうと、「どうせ結ばれるんだろ〜」みたいなことは分かっているから、ある意味先行きは気にはならない。
だから、この愛シナリオにおける延々と続く「進展のしなさ」も、そういう意味では全くエンタメのないグダグダでもあるわけです。どうせ上手くいくことがバレバレなんだから。どんだけ進展なくても、「くっつくのかな〜」とヤキモキすることは無い。「どうせくっつく」というのをエロゲの制度的に僕たちは既に知っている。―――だからここに、そういうお話的な意味合いでのエンタメは存在しない。代わりにキャラクターだけが残り、それが個性とキラメキを発し、だからこそこういった作品はいわゆる「萌えゲー」と呼ばれてしまうわけです。それが良い点でもあり悪い点でもあります。


胡桃の話。この子はまず外見で勝ってます。

この柔らかそうなほっぺたが凄くつねりたくなるんだけど!!おもちみたいじゃない!!

関係・距離感が非常に良いです。てゆうかこの作品は、そこが(胡桃に限らず)みんな良いですね。初期設定の時点で既に素晴らしい距離感を築いている。なので開始時点で充分素晴らしい空間が出来上がっている。さて、主人公の胡桃への距離感、そして対応ですが、これが(小学生的なアレで)「好きな子をいじる・からかう」的な感じで素晴らしいです。ニヤニヤが止まりません。もっといじりたいと思ってしまう。しかも主人公さんは非常に出来た人ですから、胡桃が本当に嫌がるようなことは絶対にしません。つまり「いじる・からかう」からネガティブな部分・シリアスな部分を可能な限り排除されたそれが行なわれるわけです。よってニヤニヤがリアルに止まりません。軽く死にます。
このお話は「主人公が出来た人だ」ってのが結構ポイントでして、胡桃はキャラ紹介に「ツンデレ」と書かれているように、大別すればそっち系のキャラクターでして*3、まあ平たく言えば、作中テキストにも記されてるように「天の邪鬼」キャラなのですが、その天の邪鬼な部分を出来た主人公がエスパー並に読み取っていくという、純平(主人公)にしか為せないであろうある意味超絶シナリオでもあります。本当は○○がしたいのに、決してそれを口に出さない胡桃。○○しようかと言われても、私は別にしたくないという言動を示す胡桃。にも関わらず、主人公はその気持ちを「汲む」のです。そう言ってるけど本当は○○がしたいということを見抜き、そして実際に○○を行なう。

胡桃「て、て、手を繋いでって……バカじゃないの!?」
純平「恋人同士のデートなんだから、別に良いだろ?」
胡桃「そ、そういう問題じゃないでしょっ」
はぁ、まったく素直じゃない奴だ。
ならば、強引に繋いでしまうのみ!

しかもこんなのが一回二回じゃなくて、何回も何十回も行なわれるわけです。胡桃が決して口に出さない「胡桃の本当の願望」を、胡桃にそれと確認することなく確信した上で、行い、満たす。ある意味ではエスパー級ですが、しかしだからこそ胡桃と付き合える―――胡桃はそれを求めている、とも言えるわけで。
つまり、実は求めているものが超高いのです。実は超お姫様である。この辺は胡桃本人の口から「王子様から、誘われるのがずっと夢だったから……」といった具合に語られますが、これだって眠りに落ちる間際の、意識がはっきりとしてない時の台詞です。つまり翻せば、意識がはっきりしている時に、このように明確に本当の要求を明らかにすることはない。しかしながら、それでも尚「それを汲む」ような人を胡桃は求めているわけです。自分のお姫様願望を決して明かさないにも関わらず、自分をお姫様のように扱ってくれる王子様を求めている(王子様を求めるのは、いつだってお姫様なのです)。

何度か、冗談のように王子様のように誘ったことがあるが……
俺は、胡桃の王子様になれてるのかな。
もしくは、これからでもなれるんだろうか……

それを、主人公は、いや「それも」と言うべきでしょうか、それも、主人公は「汲む」わけです。そしてこの超高いハードルもほとんど難なく乗り越える。ラストのテキストが純平に対する胡桃の「うん、あたしの王子様♪」であったように、王子様になれたのです。……いや、それ以前にとっくに、少なくともダンスパーティーに迎えに行った時から、王子様になれてたとも言える。ああ、それはつまり、逆に言うと、純平はほぼナチュラルに胡桃の王子様だったということです。ええ、もう、まったくもって、お幸せに!爆発しろ!って感じ、いやむしろモニターのコッチ側の俺爆発しろ!って感じです。このゲームの本領を発揮したような素晴らしいシナリオでした。



あとこれで「いかにも女の子らしい部屋」とかいうテキストが出てきたんだが嘘だろ。花も飾られてないしw


さて、要求高いというと朱音さんもそうです。この人、実は乙女的妄想王なのが面白いですね。基本、『GIRLY TALKING』で出てくるのですが、たまにチラッと通常時にも顔を出してしまいます。たとえば、

朱音「それに、男の子なんだから、好きな人が出来たら守りたいと思うでしょう?」
純平「…え?」
朱音「他にも女の子を賭けて勝負するシチュエーションって、男の子とか好きじゃない」

とか言い出して純平くん軽く引くんだけど、これって明らかにこの人の趣味ですよね。「男の子とか好きじゃない」じゃなくてお前が好きなだけだろw と思わず突っ込んでしまいました。(しかもこの後『GIRLY TALKING』でそんなシチュ妄想してるようにマジでそうであった)
この朱音さんに関しては『GIRLY TALKING』システムが生かされています。表は非常にしっかりしている人のように見えて、その実はウルトラ付くくらいに乙女なのです。いやもう少女といってもいいかもしれない。『GIRLY TALKING』では露骨なほどに彼女の願望的なるものが「空想の物語(劇)」として披露されます。そして主人公は、そういった乙女的願望と現実とのギャップを埋める役割も負うことになるので(しかもここでも胡桃さんのときと同じ様に、見えない望みを汲んであげて叶えることになる)、えー、胡桃さんも要求が高いと上に書きましたが、朱音さんはさらに凄いです。さらに要求レベルが高いのですが、それを全部叶えてやろうと決意するのが、このお話を要約したものです。えーとぶっちゃけ修羅の道にしか見えなかったりするんスけど。

【エピローグ直前】
真剣に、朱音にプロポーズする。
朱音「私、結構、嫉妬深いけどいいの……?」
純平「うん、知ってる……」
朱音「私、甘えさせてくれないと、多分いじけちゃうわよ……?」
純平「むしろ、どんどん甘えて欲しい」
朱音「私、年上だから先に卒業しちゃうわよ……?」
純平「だけど、結婚したら一緒にいられる……」
朱音「でも、でも、私……」
純平「大丈夫。全部ひっくるめた上で、俺は朱音が大好きだから」

全部を汲むし全部を認めるし全部を受け入れるし全部を叶えるわけです(みたいなことの宣言)。朱音さんも全部疑問系だったり(わがままや命令どころかお願いですらない、お伺いのレベル)、「でも、でも…」と思いつかん限りの全てについて純平の確認と認可を取ろうとしている(つまり、実は結構律儀なんですよ)なのですが、しかし純平はその惑いも不安も思いやりも全部ひっくるめて受け止めてしまうわけです。そもそものプロポーズからして、結果的には彼女の乙女的願望=妄想を満たしてもいるわけですしね。だから―――だから、こっから先は修羅の道であり、修羅の道に足を踏み入れたと言える。

【エピローグ】
朱音「もう一年だって待てない……早く、一緒に暮らしたい……」
純平「……よし、わかった。結婚しよう、朱音!」
朱音「ねぇ、純平。子供は何人くらい欲しい?」
純平「っ!?」
朱音「私は、一姫二太郎って言うし、三人は欲しいかも……」
こ、こっちもこっちで計画的だなぁ……
純平「……うーん、まあ、俺もそれくらいが良いかな。もちろん多くても良いけどさ」
純平「やっぱりアパートなんかじゃなくて、頑張って、郊外にでも一軒家が欲しいな」
朱音「もちろん庭付きよね?」
朱音「真っ赤なバラと、白いパンジーを庭一杯に植えるの」
朱音「子犬も飼って、その横にはあなたがいて……」
純平「……凄い豪邸を考えてないか?」
それっていったいどれくらい稼がないといけないんだ?
朱音「あら、頑張ってくれないの、旦那様?」
純平「朱音のお願い、だもんな……」

かつて乙女的な夢を見た少女は(まあエピローグは一年後なので「かつて」ってほど時間経ってないですけど)、その夢は、いまだに乙女的な色彩を残しつつも、ここから地続きの実現可能な希望へと変容した。それが、どんな願望だろうとどんな妄想だろうと、それが現実味を帯びて具体的になっていようと、そしてこのように彼女自身の口からお願いとして語られても、それでもなお全てを受け入れて全てを叶えるのです。これは、純平が選んだこの道はそういう道であるということでして、彼女のお願いを全て叶えようというこの道は、実に要求が高く、まるで修羅の道のようであり、ああそれでも幸せにまみれた修羅の道だなぁ、としか言い表すことが出来ない。


最後、杏奈さん。どうしようこの人好きすぎて死ぬんですが。おそらくエロゲにおいても殆どいないであろう、一人称が「吾輩」な女の子。とはいえ、忘れちゃならないのが、朱音さんが言うように「杏奈は、常識に頓着しないだけの、普通の子よ?」ということ。そう、普通の子でもあるのです。普通に生きてるし、普通に恋するし、普通にキスに夢見る女の子。
『GIRLY TALKING』システムが最も上手く機能しているのがこの人のシナリオです。普段は「ああ」なのに、一人になると実は「こう」。……みたいな部分の開示が『GIRLY TALKING』システムの長所でありますが、それがこの人の場合素晴らしい。素晴らしすぎる。これは、こうやって文章にするのがもどかしすぎるので、是非プレイするべきですね。そして杏奈の可愛さに死んでください。既にプレイ済みだぜって方は思い出したり再プレイしたりしましょう。そしてもう一度死のうぜ!
えーと、一応シナリオについて。杏奈さん可愛い、杏奈さん見てるだけで飽きない、杏奈さんを僕に下さい、の一言で終わってもいいのですが(一言じゃないけど)。ラストが致死量間近のステキさだったのでちょっと書き記しておきたい。前述したように「普通の女の子」でもある杏奈は、ある意味では乙女的な・女の子的な願望ですね。「王子様のキスで目覚める」ということに憧れを抱いていた。呪いを解く王子様のキス。それはシナリオ後半にて実際に叶うことになって、それでいてオチが恋わずらいとかいってちょっと肩透かし感がある何かアレだったりしたのですがw、その直後に明らかになった留年の理由がステキすぎたのです。今年真面目に授業に出席している理由は、「純平が居るから」。去年授業に出ないで留年した理由は、「純平と同じ学年になるため」。これってある意味「眠り姫」の隠喩なんじゃないでしょうか。つまり、純平と出会うために、一緒の学年になるために、一緒に過ごすために、去年一年間「寝ていた」ということ。いや肉体的に寝ていたのかどうかは別として、活動していなかったその一年間は、精神的には「寝ていた」といっても間違ってはいない。つまり、意味的には、純平と一緒になるまで寝ていて、純平と一緒になったら目覚めた。これはまんま、眠り姫と、その呪いを解く王子様のキスのような関係ではないだろうか。つまり彼女の望みは、既にして叶えられていた―――それが約束されていたとも言える。言うなれば、あなたの存在そのものが、わたしにとって、眠りから醒ます王子様のキスそのものなのだから。

*1:作品中で「ぽっぽスレ(的なもの)」だと明記される場面はほとんどなく――ちょっとはあるのですが――、そしてゲームシステム上の都合(分岐に伴う整合性の都合)がそこには含まれてるとはいえ、確かに「複数のスレ」を閲覧していることになっているので、必ずしも「ぽっぽスレに限る」とは言えない…………とはいえ限りなく黒に近い灰色みたいなもので、殆ど全てがほぼ「ぽっぽ関係スレ」であるのですが(どちらにしろ「ぽっぽの話題になる」ので、たとえ何スレであっても事実上はぽっぽスレみたいなもんだ、とも言える)。

*2:いや実際にそれは主観なのだけど、しかし選別され抽出された養殖モノの主観でしかないわけであって。

*3:……しかしそんじょそこらのツンデレとは一線を画しますね。あくまでも天邪鬼=素直になれない系のツンデレであり、そしてその理由はお姫様願望と繋がっていると考えることもできる。